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4技能試験延期、まともな英語を学ぶチャンスは奪われた

日本に必要なのは、英語ができる人と英語ができる人。以上。
4技能試験見送り。その衝撃的なニュースを聞いたのは、ボストンででした。奇しくもマクロ経済学の授業で、Robert RigobonというFEDの議員も務めたアクの強い教授に、日本の経済回復について、

Japan needs to take bold action. Japan has lowered interest rates like crazy, printed money like crazy and stimulated economy like crazy but it never worked out. A bold action. No more discrimination for women. All children can stay in child care. There should be only two kinds of Japanese. One who can speak English and the other one can also speak English. Period.
「(日本がこの長い停滞から抜け出すためには)大胆な政策が必要。狂ったように金利下げて、お金を刷って、景気を刺激してもうまくいっていない。そう、大胆な政策。女性に対する差別はゼロ。保育所に子供が全員は入れるようになる。これからの日本に必要なのは2種類の人材だけ。英語ができる人と、英語ができる人。以上」

こんな話を聞いた日に、日本の英語教育を後退させるニュースを知りました。あれから約2ヶ月が経ちましたが、教育の平等の名のもと、何を得ることができなかったのかを考える必要があると思います。なぜなら、この決定により本当にチャンスを失った人の声が聞こえて来ないように感じるからです。

「なぜ改革が必要なのか?」大前提を欠いた反対派
反対派の話に聞き、同時に準備と予算不足の状況を見ると、延期になった妥当性は分かります。ただ4技能試験を悪玉化して断固反対するというのは、問題の本質を欠いているのではないかと思います。

なぜ英語入試改革が必要だったか。直接的な原因としては、日本の大学の国際化が待ったなしの状況に来ているからでしょう。少子化による定員割れを逃れるために、特に中位以下の大学は留学生により定員を埋めていかなければいけない。一方、国際ランキングにさらされる東大などの上位校は、ランキングを上げることでアジアのトップ校と人材獲得競争をしていますが、現実的には日本勢は毎順位を下げている。

日本の経済は低下しているし、日本語は日本でしかほとんど話されていない言語ですから、キャンパスを国際化するとなると、英語化がどうしても必要になってきます。しかし、日本のボトルネックである英語力の問題が、それを阻んでいるのです。そこで大学は自分たち聖域である、大学受験を変えることで、この状況を変えようとした。というのが、大学側の大きな力学だったと考えます。

東京大学のワールドランキングサマリー
(出典:Times Higher Education)

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犠牲になったのはこれから英語を勉強する子どもたち

上記のような大学側の要請に加えて、英語を学ぶ側の生徒からしても大きなメリットがありました。それは大学に入るための英語と、大学に入ってから必要な英語、そして社会に出てから必要な英語が一直線上に揃ったことです。

今までは、受験英語は社会に出てから通用しないと知っていても、それはそれとして受験のために勉強しなければいけない、という問題がありました。特に実用的ではない文法問題や英文和訳・和文英訳は、4技能試験の流れとは逆行しています。それでも大学受験で出ることを理由に、学校では大抵の時間をこれに割かれています。

4技能化のイメージ

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4技能試験が実施されれば、この問題は解消に向かうはずでした。
例えば4技能試験には文法問題は存在しません。その代わりWritingやSpeakingで文法的に正しく使われているかが、採点されるようになります。もちろん英文和訳や和文英訳は出題されません。

試験が変わらなくても学校の教育は変わるべきですが、試験が変われば変化のスピードは否応なくあがります。

私たちの世代は、長い時間をかけて勉強して、それでも大学や会社に入ってから自分の英語が使えないことに気づき、嘆いてきました、僕たち日本の英語教育の犠牲者からすると、英語試験改革は相当意味のある前進だったはずです。受験社会日本において、大学がその聖域の受験を変えることで社会的変革を起こすことを目指すはずでした。今の子どもたちは、大学というアカデミックな場所でも、社会に出ても使える英語を身につける機会を、やっと与えられるはずでした。

今回の延期問題で、まともな英語を学べる機会を失ったのは、他ならぬ今の子どもたちだと思います。

後半「どこに本当の不平等が在るのか」につづきます。

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