被搾取者としての生き方。

よろしくお願いします。

今回初めてnoteを書きましたニート丸沙五乗です。

(鬱症状になった勢いでここに思いを綴っているのでわけの分からぬことを発信することをお許しくださいませ)


いきなりですが、

『被搾取者としての生き方』と聞いてハッとするものはあったでしょうか?

おそらくこのタイトルを読んだ大多数の方は何か

『凡人としての生き方』といったニュアンスで捉えているでしょう。


しかしここで言う『被搾取者としての生き方。』とは決してそのようなニュアンスを持った”悲しいもの”ではありません。



Twitterを見ていて私は思いました。

どんなに綺麗事をいってる人であろうとも何か狡猾な生き方を模索し自分の欲望のための大義名分を作り出している。と。

そして、現在の社会                          いや、人間が住む社会と言うのはむしろそんな”汚らしい”        いや、想像もつかないほどに気色が悪い社会である。と。


何故

意図も簡単に他人を貶め、他人の気持ちを踏みにじり(意図的に)、自分の利益のみを追求する生き方ができるのでしょうか。

私は疑問で仕方ありません。


自分は自分であり、他人は他人である。                確かにそれは”当たり前”です。

だからといって好き勝手しても良いのでしょうか?           みんなそうやって生きているから仕方がないことなのでしょうか?


奪いあい・殺し合い・蔑み合い・騙し合い

それが本当に私たちにとっての幸せでしょうか?

本当は誰しも助け合い・支え合い・認め合い

そんな幸せを目指しているのではないでしょうか?


奪いあい・殺し合い・蔑み合い・騙し合い

こういったものは全て恨みから生まれます。

そして奇妙なことに                          人間は恨みの対象をそらし罪もない人にまで攻撃を始めます。

そしてそのことは人間に偽りの幸せ(優越感)を与えます。

そしてそういった行動は次第に人から人へと伝染します。


『争いは争いをうみ、搾取は搾取をうみ、不幸は不幸をうむ』


私はもうすでにそのことに気づいているので感染予防を行い

腐らずに信念を貫き通そうとおもいます。


『搾取するくらいなら、いっそのこと搾取された方がマシだ。』


いつか必ずこんなクソみたいな(無意味な)戦争に終止符が打たれ全ての者が美しく生きられる日がきますように。


終わり。










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