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死ぬ気になれば何でもできる、は嘘である


この言葉は
日本人の精神主義を象徴している
かのような言葉なんですが、
どう考えても、
この死ぬ気になれば何でもできる
誤りです。

なぜ誤りなのか、
というのを考えていきますね。


まず、死ぬ気になっても
「何でも」はできません。

死ぬ気で頑張る、ということは、
死を顧みない、または
死を許容するくらい頑張る
ということですよね??

そう、必死に。


確かにそれをすれば、その人が死の危険を冒さない状態で頑張っているより、高い成果を上げられる可能性は出てきます。死を顧みない、また許容することにより、【出来ることが増える】からですね。 



でもそれにも限界はあります。




例えば私が死ぬ気になったところで、
格闘技の試合でK-1の
世界チャンピオンには絶対勝てません。


それでも出来ることが増えるなら、
死ぬ気でやればいい
じゃん、って?



違いますね。



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死ぬ気でやるっていうのは、
文字通り、
死ぬ確率が非常に高くなる
ということです。

解りやすく言えば、
ギャンブルのルーレットに
限界まで借金した上で
全財産かけるのと同じ
なんですよ。
ハイリスク、ハイリターンな
やり方
なんですよ。

だから、死ぬ気になれば、の、
死ぬ気、なんてものは、

それこそ
狂った人しかできない芸当なんです。



結局この言葉は、
死ぬ気になれば何でもできる
じゃなくて、
凄く頑張れば何でもできる
っていう意味なんですね。

この、凄く頑張れば、の部分が
精神論によって、最上級まで高められて、
死ぬ気
、に変換されてしまっている
だけなんです。

で、凄く頑張れば何でもできる
のかというと
当然何でもできるわけがないので。



現実的には
「凄く頑張れば、
今以上のことはできるよ」

ぐらいの言葉なんですね。 


それが
「死ぬ気でやれば、何でもできる」
になってるんです。

無責任な精神論によって。


この言葉は一人歩きして、
色んな人を追い込んで追い詰めています。


それこそ死までね。

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死ぬ気になれば何でもできる
なんて言葉を言う人は、
何を根拠にそう言うのか?

そういう人は、
自殺という高い壁を越えるのに必要なもの
「勇気」だと思っているからなんですね。


自殺するほどの勇気があるなら、
他のことは何でもできるじゃないか。


と、こういうわけですね。


でもこれ、
根本的に間違っています。
実際、

自殺に必要なのは
勇気じゃなくて絶望
です。


よく聞く、
「死ぬ勇気」っていう言葉が
そもそも
間違った言葉
なんですね。