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㉝ 毒殺と銃殺 平徹雄(19)

まるでB級映画

戦後犯罪で判明している少年の死刑確定事件で『銃』を使った犯罪は3件ある。片桐操、永山則夫、そして平徹雄(19)だ。片桐、永山は有名だが平を知らない人は多いのではないだろうか?
以下に事件内容を記す。
事件は昭和36年5月31日深夜零時半頃、熊本市内の派出所に「話がしたい」と平が訪れ、対応した巡査と『愛情論』について30分ほど語り合い、平が持ってきていた毒入りのしるこの缶(青酸カリ)を差し入れ、口にした巡査は間もなく苦しみながら死亡(この時の平はどちらの缶が毒入りかわからなくなり自分が死ぬ可能性もあった)ピストルと制服を奪い逃走した。
途中、タクシーに乗車し代金支払の際に「ない」と言うと懐中電灯で顔を照らされたために運転手に気づかれたと思い頭部に二発発射し射殺した。平が襲った派出所には平の二年年上の先輩が勤務していたが、当時対応したのは別の巡査だった。この巡査とも別の派出所勤務時代から知っている間柄だった。
深夜に徘徊する少年の話を聞いてあげる警察官の優しさにつけ入る残忍な犯行だったが、平はすぐに手配され同日中にあっさりと逮捕されている。
実はこの時、平より先に近くの未亡人が被害者の巡査に身の上相談をしていたが、この時に平が訪れ、未亡人は当直室に身を潜め二人の会話を隙間から覗いていたが、その後に物音とうめき声がして、怖くなり押し入れの中に隠れた。
平が逃走後に未亡人がすぐに通報し、その頃にはタクシー運転手の遺体も発見され、平が知人の家に顔を出した所を通報で駆けつけた警官にあっさりと逮捕された。連行される際の群衆に取り囲まれている写真が掲載されている。
【昭和36年6月1日熊本日日新聞】
【週刊サンケイ61.6】

犯行動機

平には好意を寄せていた喫茶店勤務の年上の女性がいた。この女性には結婚前提の交際相手がいて、平は相手にされておらず、喫茶店に何度も電話したり、何日も通いコーヒー一杯で何時間も粘ったりしていた。高額なステレオを購入しプレゼントまでした。また平は「しらさぎ」という写真店を開業している。
写真雑誌に『白鷺会』という実態がない会の会員を募り会費で一儲けしようとするもうまく行かず、大手デパートに「バルーンに乗って航空写真をとるから採用してくれ」と営業するも相手にされず、次第に家賃も払えなくなり借金だけが増えていった。前記のステレオ代なども重なりこの借金の埋め合わせと、商売を大きくさせ意中の女性を振り向かせたい事が犯行動機だった。
【昭和36年6月2日熊本日日新聞】

平徹雄という少年

平は取り調べ室での記者との一問一答に(この時代は取り調べ室に記者が入って被疑者に直接取材出来た)
「夜はぐっすり寝れてるよ。いい気分だ」
「人を殺すもネコを殺すも同じだ」
「あんた方は防弾チョッキを着てそうですね」
「みんな本当の俺を知らないだけだ」
などと嘯き、好意を寄せている女性に取調室から15分ほど電話で話をし、満足そうな表情を浮かべたりもしていた。
そんな平は父が事業をし町会議員までしていたが、事業に失敗し傘の修理で生計をたてる暮らしの中で中学時代は生徒会長を務め読書好き(愛読書は我が闘争)で問題なく暮らしていた。
しかし父が強い精神力をつけてほしいと、時には殴るなどのスパルタ教育に反発するように徐々に非行にはしり、高校は本を万引きした事が原因で一年で辞め家出。市内で二つの会社(うち一つが写真店)に住み込みで仕事をしたが内向的な性格からうまくいかずに自身の写真店開業で一儲けしようとした。
平には事件前年の7月に窃盗(万引きの件で不処分)、同年2月に近所の女性を押し倒す婦女暴行未遂の前歴がある。この未遂事件で保護観察処分が決定していたが、手続きの遅れで平は野放し状態だった。
【昭和36年6月1日熊本日日新聞】
【昭和36年6月2日熊本日日新聞】

熊本日日新聞61.6.2

裁判

一審判決理由で事前に青酸カリを購入した計画性や二名殺害の残虐性、前歴二回の非行歴を理由に死刑判決(成人の二日前)
昭和36年9月28日 熊本地裁 死刑
昭和37年6月7日 福岡高裁 控訴棄却
昭和38年5月10日 最高裁上告棄却
昭和38年5月29日 判決訂正申立棄却
【刑集37巻6号】【昭和36年9月28日熊本日日夕】
【昭和37年6月7日朝日新聞西部夕】
【昭和38年5月10日朝日新聞西部夕】【集刑147】

取り調べで書いた手記を最後に紹介する
「愛とは何であるか。死して愛残り、生きて愛を欲す。汝のために生き、汝のために死なん」愛する人への手紙  テツオ
【週刊サンケイ61.6】

死刑執行

平徹雄は昭和44年1月18日に死刑執行された。
【日本の死刑】


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