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❷静岡市一家5人強盗殺人のM本(19-18)とA井(17)

戦後に死刑を宣告された少年で5人を殺害した者は3人いる。一人は杉山優で死刑確定後に恩赦により無期懲役になり仮出所後に殺人未遂事件を起こした。
もう2名は戦後まもない頃に静岡市で起きた事件の少年で今回はその事件をまとめた。

事件

昭和22年2月3日早朝、この日は零下3.1度という静岡市でも近年まれにみる冷え込みの中、Kさん方にこの家のAちゃん(8)の友人の少女(12)が「一緒に学校に行こう」と声をかけに訪れた所、幼いながら異様な空気を感じた。
裏口からのぞいてみると惨劇の痕を目の当たりにし、びっくりしてお母さんに告げ、すぐに静岡署の署長と刑事がかけつけた。
家中が荒らされて物が散乱し、この家に住むKさんの母、Kさんの妻と8歳と6歳と2歳の子供たちの5人が電気コードで首を絞められて殺されていた。主人は出張中で不在の中での犯行だった。
Kさん一家は前年6月に引っ越してきたばかりで近くに土地も100坪所有し、生活には困らない程度の家庭であった。

捜査

当初は室内に財布や金になりそうな衣類が残っていた点や手際よく5人を絞殺してる点、子供も躊躇なく殺害してる点などから二人以上の犯行で顔見知りのえん恨説が有力とされ捜査がはじまった。
聞き込みを続けるとKさん方には事件前に闇ブローカー(この時代はヤミ屋は多かった)が出入りしており、このブローカーが浮上した。
被害も三千円や着物数点や米が見当たらないことが判明し、この闇ブローカーが主人不在時を狙った金品目当ての犯行が有力になり、M本(20)とA井(19)が手配された。
※読売新聞記事ではそうなっているが当時は数え年表記なのでM本(18-19)でA井(17-18)で二人とも未成年の可能性が極めて高いと思われる
その後に上野で盗品が質屋から出て、真冬の中で北には逃走しないだろうとの読みどおりに2月9日に千葉県松戸市にて二人は検挙された。
犯行の動機は小遣いほしさに盗品をM本がKさんに度々売りにいっていたが、Kさんに足元を見られ相場より安く買われていた恨みがあった。
M本は偽名で松戸の旅館に居座り、東京へ盗品を売りに出る毎日であったが不審に思った女将の通報が逮捕のきっかけだった。
東京から静岡へ連行中の車中でM本が「お出迎えご苦労さん」とふてぶてしく更に「出てきたらテキ屋だ」「俺が5人全員やった」と強気なのとは対照的にA井は意気消沈して下を向いたままだった。
M本は仕事をしても怠け癖から同僚と折り合いがつかずに逃げ出し、一度は茨城などに住んでいたが再び静岡に戻りA井と知り合った。母親は義母で実の兄姉は朝鮮にいて家庭では冷たい扱いを受けていた。
A井は旧姓は朴で家庭に問題があり網走に行くつもりだった所をM本に一家襲撃を持ちかけられた。

裁判

強盗殺人5
逮捕からわずか二ヶ月ちょっと(この時代は普通)の昭和22年4月25日午前9時50分に静岡地裁にてM本とA井の二人に死刑が宣告された。静岡県下では前年4月15日に渡辺茂が死刑を言い渡され執行済以来であった。
この時、病を患っていて青白い顔のM本はニヤリと不気味に笑い、A井は軽い痙攣をおこし蒼白でうなだれて退廷した。
犯行を持ちかけたのはM本で殺害には乗り気じゃなかったA井は「Kなんて殺すのはへっちゃらだ。恨みがあるんだ」と言ったM本が主犯で、自分は従犯との理由で減刑を求めていた。
弁護人はA井の従犯、M本の精神鑑定の実施などを理由に控訴した。

その後、昭和25年1月19日に主犯のM本が病死し公訴棄却
控訴審の詳しい資料は未見だが、犯行時17歳(の可能性)や従犯が認められた?A井は同年9月25日に東京高裁で無期懲役の判決になりそのまま確定した。

【読売新聞静岡昭和22年2月3日~11日】
【静岡新聞昭和22年2月4~14日】
【静岡新聞昭和22年4月26日】
【静岡県警察史下】

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