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⓮現行法で最年少死刑判決のK.H(18)

大月孝行(旧福田)という有名な少年死刑囚がいる。
「戦後最年少の少年死刑囚だ」「現行の少年法で死刑を宣告された最年少だ」
これらはYouTubeや個人ブログに散見されるが、どちらも間違いである。
戦後の最年少少年死刑囚は【少年死刑囚事典】で記事を書いているとおり、鬼頭正一の17歳4ヶ月
少年法改正後(18歳以上じゃないと死刑に出来ない)に死刑判決を言い渡された少年で大月よりも若い少年がいる。
今回はその少年事件を取り上げる。

茶志内駅前売店で発生した強盗殺人

北海道美唄市の茶志内で昭和31年11月20日夜7時過ぎに茶志内駅の前にある売店兼待合所にて買い物に訪れた女性が店内で店主のA.Tさん(女性)と長女J子(10)が頭から血を流して倒れているのを発見し、警察に通報。
二人は病院に搬送されたがJ子がまもなく亡くなり、Tさんも瀕死の重傷を負い危篤、店内は荒らされた形跡はないが手提げ金庫が開いていてマサカリが落ちていた状況から強盗殺人とみられ、事件前に目撃されていた不審な動きをするねずみ色の服を着たやせ形の男を中心に捜査が開始された。

被害者

A.Tさんは事件の3年前に夫と死別し、茶志内駅前のバラックで寝泊まりし、駅利用客相手の新聞や菓子などを売る商売始め、一人娘のJ子もお使いなど店の手伝いをして新たな人生を歩みはじめたばかりなのに被害にあってしまった。
この茶志内駅は現在は利用客が一日の乗車が十数人で商売として成り立つのか?と思ったが昭和30年頃は一日500~600人の利用客がいてそれなりに売店の利用もあったようである(Wiki参考)

手配されたのは少年K.H(18)

事件発生時は怨恨、痴情、物取りと様々なケースが考えられ捜査は難航するかと思われたが、近くの炭鉱会社で見習いで働いていたK.H(18)を有力容疑者として手配。
10日ほど前から酒に酔った事が原因で手を怪我してから会社を休んでいたが、事件前日にこの会社の社長Uさんを訪れて一泊し朝に立ち去っていたが、その際にラジオを持ち出した窃盗容疑で手配された(未成年だがその際には顔写真を公開)
K.H自身のボストンバッグもUさん宅に隠していた。
近隣の素行不良者を洗い行方をくらませたK.Hに目星をつけた流れと思われる。

逮捕

事件発生から9日後の11月29日にカルルス温泉の旅館から「挙動不審な男がいる」と通報があり、駆けつけた警官が手配中のK.Hと確認し問い詰めた所、売店の母子殺傷を白状し逮捕となった。
自ら命を絶つつもりだったらしい。
怪我をし働けなくなりプラプラとしていたが地元の釧路に帰りたくなり旅費の工面にラジオを盗み、それでも足りずに以前訪れた事がある売店には母子しかいないと知っていて狙いをつけた。
当日は待合室で時間つぶし居座り機会を伺っていたが、客が頻繁に来るために犯行のタイミングがなく、夜になり客足が疎らになった頃に店内にあったマサカリで背後から襲いかかる残忍な犯行であった。
K.Hは進学に失敗してから父親の紹介で鉄工所で見習いをしていたが、同僚と軋轢があり退社。
その後は家出や盗みなどを繰り返し、不良と関わり素行が悪くなっていった。
更生を期すために親戚の炭鉱会社に勤めていたがそこでも酒癖が悪いなどうまくいっていなかった。

一審は死刑判決

強盗殺人1、同未遂
身勝手な理由での犯行でA.Tさんは一命を取り留めたが後遺症が残り、10歳の少女の命を奪われるという痛ましい事件の裁判が開かれた。
昭和32年4月26日札幌地裁岩見沢支部
求刑通りの死刑判決

思慮分別が未熟とは言えない
被害者に狙いを定めて用意周到

強盗殺人の最高刑の死刑を選択した
K.Hは重すぎると即日控訴した

二審で無期

昭和33年1月28日に札幌高裁で控訴審が開かれた。
一審の死刑判決を破棄して無期懲役判決

18歳を8日過ぎたばかりの若年
店の出入り客はそこそこあり殺害行為は偶発的
被害者の処罰感情は徐々に弱まり更生の機会を与えてもいいのでは?と考えはじめている

双方上告せずに確定

冒頭に記した通り現行の少年法下では18歳と8日は最年少での死刑判決。
もし亡くなった被害者が二人なら死刑確定囚としても最年少になっていた可能性が高い。

※大月孝行(旧福田)は18歳と29日での犯行で現行法としては『確定死刑囚としては最年少』だか、判決言渡しや旧少年法も含めると事実とは異なることがネット上の情報として記されていることに注意したい。

参考【北海道新聞昭和31年11月21~30日、昭和32年4月27日、昭和33年1月29日】
判決文:折原臨也リサーチエージェンシー様

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