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【三章】求刑死刑、無期などの少年事件

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求刑死刑や無期懲役、その他気になる少年事件をまとめています。
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#少年死刑囚一覧

暴力のDNA 16歳で父を22歳で母を殺害 N.K

見るに堪えない惨状最初に目撃した近所の人は「飛び降り自殺だと思った」そうである。 2008年5月23日新宿区北新宿のマンションの駐輪場で血溜まりの中で息絶えている女性が発見されたが、顔の判別がつかないほどの状況で服装から女性とだけはわかる…と言えば大体の想像はつくだろうか。 警察が調べた所、頭蓋骨損傷に顔は形が変わるほど殴打され首にも絞められた跡があった。 一体どれだけの殺意があればここまで出来るのか… 遺体の状況もだが、翌日に逮捕されたのが、殺された女性(57)の次男(22

昭和30年以降 死刑求刑→判決無期の少年16人

当サイトでは既に戦後の犯罪で死刑判決を下された72人(+2名)に関しては発生から逮捕日、判決(訂正申し立て)までの情報を一部の不明を除き全て紹介させていただいた。 一章 少年確定死刑囚事典 二章 死刑を免れた少年 死刑判決破棄 残りは死刑を求刑されて判決が無期懲役となった少年死刑事件という事になるが、昭和20年代前半に関しては裁判資料も残っておらず無期懲役判決事件は記事にすらならないケースが多いため全てを網羅するのは不可能に近い。 なので今回は昭和30年以降に死刑を求刑さ

広島山口連続老女強殺T.K(19)

少年に死刑のボーダーラインはあるのか? 山梨県甲府市の特定少年第一号となったEの話題で「千葉祐太郎以来の少年死刑囚誕生だ!」とネット上では一部の気の早い人たちで盛り上っているが、公判予定はこの記事を書いている時点ではまだ決まっていない。 (追記:その後10月25日に初公判が決まった) 色々な文献を見ていても少年を裁くのは難しいと感じている。そもそも長い裁判官人生の中で少年の死刑事件を担当することすら希なのだ。 近年は10年に一度あるかないかの頻度である。世論も社会情勢も少年

死刑事件が少ない地裁での少年死刑事件

少年事件を調査する過程で「そういえばこの地域の新聞は一度も閲覧したことないなぁ」とふと思ったのが今回の出発点。 山形地裁では戦後に確定死刑囚が一人もいないというのは知っていたが、他の地裁はどうだろうと興味を持ち、死刑事件が少ない地裁の少年死刑事件を深掘りしようと思い、漂泊旦那様の『各地裁別の最新死刑・無期懲役判決』と折原臨也様のサイトを参考にした。 求刑、判決のいずれかが死刑の事件を死刑事件とした。 上記の山形地裁では2007年5月23日に無期懲役判決が出た事件の求刑が死刑で

【死者8人】放火の前科と幼女誘拐 前田誠

戦後の少年の死刑判決事件で放火の事例は殆どない。確定囚では未遂が一件。二審で無期になった例も一件あるだけ。 今回は少年時代に放火で7人を焼死させ、出所後に幼女を誘拐殺害して一審で死刑判決を下された男の話を書いた。 児童養護施設放火事件 昭和24年1月17日の寝静まった深夜1時半頃に長崎にある聖母の騎士園という児童養護施設から火が上がった。 その日は吹雪いていた不運も重なり火は瞬く間に燃え広がり、消防団が駆けつけて約一時間後に消し止められたが騎士園建物、元三菱造船工員寮など

少年時代に殺人前科前歴がある死刑囚

ネット上の意見として「人を殺すような少年は更正せずに出所後にまた繰り返すからもっと厳罰化しろ」というのが散見されるが、戦後約880人の確認されている確定死刑囚の中にどれくらい少年時代に殺人の前科前歴がある者がいるのか気になり調査を進めて記事にまとめた。番号は死刑の確定順とした。 ①浅田三次 浅田は昭和22年2月3日夕方、福岡県嘉穂郡山田町にてKさん宅に侵入し炊飯場で主人を絞殺して女性物の衣類十数点を奪い逃走。帰宅したKさんの妻が発見し大隈署に届けた。 被害にあった主人は2

2005年以降に確定した少年無期懲役囚 【後編】

少年無期懲役囚前編の続き 今回の企画は漂泊旦那様の『犯罪の世界を漂う』を参考にさせていただいた。 企画の趣旨を伝えたら快くOKしてくださり感謝。 では続きをどうぞ。 ⑬寝屋川万引き強殺 2007年10月6日大阪府寝屋川で工員の19歳少年がアルバイトの15歳の少年を誘い「酒が飲みたいから万引きしよう」とコンビニで6400円相当の商品を万引きし、目撃していて追いかけてきた店員ともみ合いになり工員19歳がナイフで胸を刺して一度は通行人に取り押さえられたが逃走。店員はまもなく死亡

2005年以降に確定した少年無期懲役囚 【前編】

2001年4月に少年法が改正されて18歳未満でも、重大性、処罰感情、社会秩序維持などを勘案しやむをえない場合には無期刑を宣告できるようになり2005年2月に船橋明大生強殺事件で法改正後にはじめて刑の緩和なし(少年法51条)の犯行時17歳の少年に無期が確定した節目の年。 これ以降で少年の無期確定事件が何件あるのか気になり、漂泊旦那様の『犯罪の世界を漂う』の無期懲役リストを参考にさせていただき確定順に簡素にまとめた。 数が多いので前編と後編に分けて記す (一次情報の新聞は一審判決

三人殺めても死刑にならない

少年の死刑と無期懲役の境界線はどこだろうか? 実は戦後75年の歴史の中で少年死刑囚の70%は殺害人数が1~2名というデータがある。 直近でも千葉祐太郎、その前の大月孝行(旧姓福田)は死者2名で営利目的の殺害ではない。一方では強盗殺人では死者が1名でも犯行時17歳にも無期懲役が確定している。 今後も判断が難しくなっていくだろうが、過去に三人殺害で死刑を求刑されながら回避した二つの少年事件を今回は記事にした。 粟野町住職夫妻殺害のH山(18) 昭和25年5月20日栃木県上都賀

【親子の分断】大宮両親殺害事件I.J(19)

I家 埼玉県大宮市に住むIさん方はお金には困っておらず、主人は左官職人で高度経済成長の中でバリバリに働き町内でも一番にカラーテレビや電気掃除機を買い、子供は7人育てたきっちりとした職人。Jはこの家の末っ子で父、母と長男とその妻と生活していた。この兄も左官業を生業にしよく働いた。 何でも器用にこなす父や兄を見ながら育ったJ(19)はとても甘えん坊で中学では剣道をしていたが、不器用で友人も少なく学校も「つまらない」と休みがちで卒業後に機械関係の仕事に就いたが1年で辞めて、その後

8人を殺傷した連続強盗犯T(17)は冤罪少年?

少年事件には冤罪が多いと感じる。幸浦事件、二俣事件、財田川事件、木間ケ瀬事件と無罪が確定した事件の他に古川兄弟、古谷惣吉の共犯の坂本登など確定後に執行された冤罪濃厚の二件も含めて死刑事件だけでもこれだけある。今回は17歳から成人を跨ぎ強盗殺人を含めた強盗や窃盗など19件で起訴され(新聞紙上では16件や21件などバラバラ)死刑相当と判断されたTの事件を取り上げる。 一連の事件の概要①昭和22年6月2日千葉県市川市のSさん方に国本某、安本某と共謀の上で侵入し居住していた8人を襲

人定質問は大事という話(成人と偽った少年)

裁判の流れで最初に被告人に人定質問があり『氏名、生年月日、本籍、住所、職業』などが質問されコロナ禍ではマスクを取って顔を見せるケースもあるのが一連の流れとなっているが、これは刑事訴訟規則196条に定められていること。 被告人の情報として傍聴人には大事な儀式のようなものだが、昔~の昭和時代には替え玉を使ったり偽名や年齢を偽り前科を隠し服役する者が結構いた。その中には死刑囚などもいて、「いい加減なもんだな~」と昔の資料を見ていて思ったが、そんな中でもレアなケースを紹介したい。 ※

裁判長を殴った少年T川(19)

少年の死刑、無期懲役判決の記事を見ていると大体の少年が判決時に『意気消沈して青ざめる』『心ここにあらずで無表情』のどちらかに分かれて、まれに『強がって平然を装う』『ニヤリとする』といった感じの少年がいるだろうか。 今回はそうじゃない少年の話を記事にした。 凶悪な連続ピストル強盗犯 昭和34年12月21日深夜1時ころ、和歌山県東牟婁郡熊野川町の農協の事務所にピストルを持った男が押し入り宿直していたOさんを脅してサルグツワを咬まして電気コードで縛りつけて現金約1万4千円とカメ

殺人前科 二度目の無期 更正しない男

少年時の最初の犯行 昭和31年11月15日、山梨県南巨摩郡身延町で映画館帰りの道で自転車に乗った若い男女が覆面を被った何者かに襲われた。 被害者の少年(14)は殴られて気絶していたと同日夜12時過ぎに傷だらけで帰宅し、姿が見えなくなった一緒にいた少女(16)は家に帰っておらずに捜索願いが出されていた。 この少年(14)が映画館で若い男が隣にきて少女(16)と言い争いになっていたと証言したことが手がかりになり、少女の家族などの話から同じ身延町に住む自動車運転助手の河西清高(1