何故肥前は幕末の雄藩なのか
幕末の雄藩は「薩長土肥」とよく言われますが、何故、肥前(現在の佐賀県)なのでしょうか。
きっかけは1808年のフェートン号事件です。
フェートン号事件は、ナポレオン戦争で、オランダ船拿捕をミッションとしたイギリス戦艦フェートン号が長崎港に入港した事件です。経過は省略しますが、結果長崎奉行の佐賀藩松平康英は切腹、藩主鍋島斉直は逼塞処分に追い込まれました。
以降佐賀藩主、斉直の息子鍋島閑叟は洋式軍備強化に取り組み、戊辰戦争で活躍したアームストロング砲の開発に漕ぎ着け、戊辰戦争を勝利へと導いたのです。これにより佐賀藩を幕末の雄藩に押し上げたのであります。
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