#10 エッセイのエッセイ

 ここまで書いてきた文字の連なり。自分としてはエッセイのつもりで書いてきたのだが、読んでくれた方は感想文だと思っていただろうか。それとも、長文ツイート?誰がなんと言おうと、エッセイはエッセイだ。

 #1でも書いたように、文を書くのが好きで文章力の向上ではないがそのような気持ちで始めた。飽き性の自分が#10まで続くとは思わなかったため、特に凝った演出もないまま今に至る。ここまで続くことを分かっていれば、#1から伏線を張ったり、タイトルの頭文字を繋げて読めば文になっているなど、今となれば後悔することもある。その縛りをつければ後に苦しむのは自分なのだが。

 エッセイを書いていて、「あー、この前書いたことと矛盾しているな」と感じることがある。書いたことと自分の行動が合致していない。その時その時で書いているため気持ちが変わってくる。と言えばそれらしい言い訳に聞こえるだろうか。対立した行動をとる曖昧で、不確実な自分を、自分だと思う。

 この匿名性が高く、誰に何と言われても実生活にそこまで影響を及ぼさないラジオ専用のツイッターアカウントは、エッセイを投稿するにあたり好都合だった。少なからず痛いやつだと思っている人もいるだろうが、大学にだって「あのエッセイを書いているやつ」というレッテルを気にせずに行くことができる。視線を気にせずに授業を受けることができる。すごく居心地がよく、呼吸がしやすい。

 正直なところ、誰かからの反応、評価が欲しくてエッセイを書いている。「いいね」やプラスの感想を貰えるだけでめちゃくちゃ嬉しい。こんな長文を飽きもせずに10回(+下書きに3つ)も続けてるくらいだから、承認欲求の塊だ。道を歩きながら、買い物をしながら、なんとなくこれ書けそうだなと思うことがあり、軽くメモする。大げさかもしれないが、メールを送る側からフリートークをする側へ、さながらリスナーからパーソナリティーへと変わった気持ちでいる。

 夏休みは毎週1つ書けたらいいなくらいの気持ちで投稿するので、よろしければ感想等お願いします。今や、匿名でコメントもできる時代です。プラスでもマイナスでもかまいませんので、反応を頂けると嬉しいです。たくさん書けば、1つは誰かの「いいね」になることを願って。

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