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わたしの人生の全てだった某男性デュオの楽曲を聴けなくなった話

この間本屋さんで、いつもの如く悩みに悩んでたら、知らんおじさんが視界にフェードインしてきて「これ!」ってそのお店の割引券を恵んでくれたかと思うと、そのまま颯爽と立ち去っていきました。おかげで素敵な本を2冊も買えました。
知らんおじさん、ありがとう。
こういうのが村上さんの言うところの「小確幸」というやつですかねぇ。

まぁそんなことはさておき、表題の件。

もう、伏せ字にしても意味ないんで書いちゃうと、わたしは、コブクロのことが大好きでした。いや、今も好きですけれどちょっと事情が込み入ってしまいました。

2009年から10年近く毎年欠かさずライブ行ってたし、ある年には同じツアーに4回参加したこともある。CDDVDはもちろん初回限定盤。どんな曲なのか買うまで分からなくて、ドキドキワクワクしてるあの瞬間がとても楽しみで幸福だった。今までの人生のおよそ半分はコブクロと共にあった。

「同じ窓から見てた空」に泣き
「水面の蝶」のギャップにやられ(マジで天才だと思った)
「待夢磨心」に勇気づけられ
「ここから」のギターバトルをアホみたいに聴きまくり
「なぜ旅をするのだろう」の笹路さんのストリングスアレンジにエモみを感じ、
その他大勢の楽曲たちも、通算何千回、下手したら何万回と聴いてきた。

でも、もう、正直聴くのがしんどくなってきた。
それは彼らに責任があるのではなくて、わたしが人並み「外れた」大人に成長してしまったからだと思う。

なんていうか……
幸せのカタチはこう決まってるんですよ、それから外れたらダメなんですよ、と限定されてるかんじというか。
「孤独な人間は不幸ですよ?」と烙印を押されてる感じというか。
いや、、、違うじゃん?て反論しようにも、向こうの力が強大すぎて刃向かえないし、(曲はバカ売れしてるからそれが世論)
なんか、もうこんなダメ人間が生きててすんません…って謝りたくなる感じ、っていうか。

要はマジョリティの音楽だなぁと。
そりゃ売れるよな…と、ひねくれた見方をするようになってしまった。
もちろん彼らがどれだけ苦労してのし上がったかを知っているけれど。バイブルかってくらいプロフィールページやら雑誌やら何回も読んだので。(今の子が悪いわけじゃないけれど、SNSも何もない時代の泥臭さたるや凄いですよ)

あ、良い例思いついた。コブクロは、というか売れてるJ-POPの人々は、ほけんの窓口ってかんじ。
「あらぁ恋人いらっしゃるんですねぇそしたらこんな商品どうですか?あーご結婚ですね~そしたらこちらおすすめです〜。あら、お子さんが受験?そしたら学資保険必要ですもんねぇ。こんな商品いかがですか〜?あら、晩年ご夫婦でご旅行?そしたらこちらがおすすめですよ〜」みたいなかんじで、お膳立てされたものを享受して安心できるサービスというか。(良い例か?)

そしてわたしはそういうレールからは外れたというか、もう降りると決めたので、世間一般でウケる曲が急に刺さらなくなった。
(もしもなにかの手違いでそのレールに戻ることになったらまた気持ちは変わるんだろうか…?)

わたしも、こどもの頃は、両親とかきょうだいとか揃ってて、まぁ人並みの生活だったからコブクロが染みてたんだと思う。
今のわたしにもそりゃ何人か家族はいるけれど、世間一般でいうと本来いるはずの人はもういないし、血の繋がった子どもというのも、わたしの人生では出会わない存在だし。(血が繋がっていてもいなくても、わたしにとって大切な誰かを大切にはしていくつもり)


わたしは、わたし自身の責任を持って、ささやかで個人的な営みを続けていきたいと思う。
そしてそんな「超個人的」な生活をすることが、悪いことだとも思わない。(このnoteというツールを使ってる人であれば、きっと、この感覚を分かってくださると思う)

だからここ最近、エレカシとか平沢進が好きになったのかなぁ。
彼らの歌から感じるのは「こうあるべきだ」ではなくて、とにかく個人、「私がどう思うか」「私がどう感じたか」「私がどう生きたいか」、ここに特化してるから、ものすごーーーーーく聴きやすい。(そしてそういう歌は大衆受けしない)

「同じ窓から見てた空」とかいっても、その中には、若くして次の世に旅立っていった人もいる。(わたしの実話)
短い人生に終わってしまったとして、それを周りが嘆き悲しむのは簡単だけど、「悪い人生」だとは絶対に思わないし。
そもそも家族やらなんやらに対して、特別な感情を抱かない人だって大勢いる、と世に出てわかったし、もしかしたら思い出すだけで反吐が出るという人だってきっといる。
だから、「これで感動するのがさも当たり前」みたいにされちゃうと、ちょっと、うーーーーーんと思ってしまう。


結局は、自分の手綱を自分で握らなければいけない。

人間は社会的な動物だから、人とのご縁や繋がりは一生切れないけれど、結局自分は、自分一代で終わり、ここを忘れないようにしたい、忘れないようにしてほしい、と思います。


もう着地点がようわからんくなってきたけどひとまず本文終わり。


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最後に、弁解するかのように「好き」の気持ちも綴って、終わりにしたいと思います。
本当に好きは好きなんです、
わたしのなかの「推しヒエラルキー」そのものから外に飛び出していってる存在というか。絶対的なんです。

たとえば、他のアーティストを聴くようになって驚いたのは、コブクロのサービス精神。
昨年エレカシの最新のライブDVD初めて買ったけれど、本編だけで終わっちゃって、ツアードキュメンタリーも何もついてなかったから「えっ…これで終わり…?」って正直思ってしまった。

その点コブクロは、ドキュメンタリーからディレクターズカット、そしてなにより副音声!
とにかく「楽しませよう!!」という思いは本当に伝わってくるし、コスパの良い商品がいっぱいある。
あと、CDの歌詞カードに曲説載ってるのが当たり前と思ってたら、それがコブクロだけだったと分かって、そこもカルチャーショックだった。歌詞カードも宝物みたいに読んでたなぁ。

今も、ちょっと寂しいときなんかに副音声聴いたりもしてます。(ちょうどこの間も、人生初のポンデケージョを食べたときに5296の副音声思い出して、見てみたらめっちゃ笑って楽しい気持ちになった。そのくらい生活に結び付いて好きなんですほんと)死ぬほどマニアックな話すみません。

ほんとに堺の商人なんよなぁ、コブクロは。。
学生時代、良い思い出を沢山作らせてもらって、その説は本当にありがとうございました。

それに、(あんま評判良くないけど)コブクロのカバーアルバム、発売当時わたしは好きだったから、そこから派生して、素晴らしいアーティストを知ることができて音楽の世界を広げてくれた存在でもある。
「時代に淘汰されない一流の音楽」たるものを知るきっかけにもなった。

小渕さん黒田さんお世話になりました。ありがとう。そして一旦、さようなら。


なにかのタガが外れていっぱい書いちゃいました。お付き合いありがとうございました。
やっぱ文章化するとちょっとスッキリするね。


まぁ少なくとも、夜な夜なコーラン読んだりバガヴァッド・ギーター読んだりヒンドゥー教の神さまの名前覚えたり、本屋で2時間たむろした挙げ句割引券恵んでもらって小確幸を感じてるわたしみたいなやつと、売れ筋のJ-POPのアーティストとは、今後はもう相容れないでしょう。


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