犬について。(あとちょこっと神さまの話)

わたしには、人生で忘れ得ぬ二頭の犬がいる。

物心つくかつかないかくらいの頃。親戚の家の近くに自動車修理工場兼農家みたいなでっかいお家があって、よく遊びに行かせてもらっていた。そこに一頭のハスキー犬が暮らしていて、その子に会うのがすごく楽しみだった。名前はルナ、といったと思う。きれいな灰色のお目々と、たっぷりとした豊かなお毛々をしていて、抱きしめるとシャンプーの香りと、その奥の獣臭というか犬の匂いがして、それがすごく好きだった。人んちの犬なのに鮮明に覚えているのは、彼女がとにかく優しく穏やかで頭の良い、美犬だったから。
生きてきてそれなりに経つけれど、人でも犬でも猫でも動物全般トータルして、彼女ほどの「美人さん」には会ったことがないし、今後も巡り合わないだろうと思う。

子どもと犬は、元来相性が悪い。縦横無尽に動き回ったり奇声を上げたり、不可解な行動を取ったりしてしまうと、犬は自分の身を守るために本能的に噛んだり吠えたりする。だからこそ人間の腕の見せ所になる。昔読んだ本で、「生まれ持った瞬間から人間を憎む犬はいない。犬は人間との長い歴史の中で人間を愛する遺伝子が組まれているから。それなのに凶暴な犬に育ってしまうということは責任はすべて人間にある。」とあった。

「子どもの頃、犬に噛まれたから犬が嫌い」という人はよくいるけれど、もっと正確に言って欲しい。それはイコール「犬をいい加減に飼う人間が嫌い」という意だ。犬はなにも悪くないのだから。
原因は、本人がなにかちょっかいを出したか、もしくはその犬の飼い主のしつけが(虐待レベルで)すこぶる悪かったか。これに尽きる。あと、こういう人はめちゃめちゃ運が悪いというか、とにかく可哀想な人だと思う。その一瞬の出来事のせいで、生涯のパートナーであり心の在処になり得る犬とのつながりを、一切喪失してしまうことになるから。

その点、わたしは幸運だ。一生分の運を、3、4歳くらいのときに全部使ってしまったかもしれない。でもそれで構わない。
ルナと、ルナを愛して大事に育ててくれていた飼い主さんのおかげで、わたしは犬を(動物全般を)好きになることができたのだから。これは人生における最大の美点の一つだと思う。

ルナは、いつ会いに行ってもご機嫌で、わたしが駆け寄ると尻尾をぶんぶん振って出迎えてくれる。でも、決して飛びついてこないし無駄吠えもしない。その当時、ルナはわたしの倍くらいの背丈があっただろうに、怖さを感じたことは一切なかった。
広い広い畑でしこたま遊んで、お家に帰って(無論屋外)、たっぷりとご飯を食べ、ごくごくお水を飲み、ぐっすりと眠る。ルナは、きっと幸せな犬だったのだろうし、ルナの周りの人間はとにかく幸運な人たちだった。
幼い頃のわたしは、きっと、ルナにとってストレスな存在でもあったと思う。触られたくないところを触ってしまったり、眠りを妨げてしまったり。それでもルナはいつでも静かに微笑んでくれていた。
世界のあたたかさ、みたいなものを、満月みたいにきれいな目やふかふかの毛並みを通して、幼いながらに感じることができた。


もう一頭は、実家で唯一、一緒に暮らしたことのある犬であり、特別な子。
彼は、なにかのテリア系やらシーズーやら、そういうもふもふ系がいろいろ混ざっている雑種犬(たぶん)。

ある日、父の職場の駐車場に、ボロ雑巾と見紛うほどドロドロに汚れた犬が、ビニール袋の中に捨てられ、泥水を飲んで生きながらえていた。後から聞かされた話ではなくて、なぜかわたしの心にはその光景が鮮烈に焼き付いている。おそらく小学校の夏休みで父の仕事場に遊びにでも行っていたのだろう。今思えばなんと記念すべき日に立ち会うことができたのだろう。

父とわたしは近所のコンビニに赴き、ウェットフードを飼って彼に与えた。彼はなりふり構わず、ふわふわの耳を上下に激しく揺さぶりながら、ご飯をぺろりと平らげた。そして父は、動物病院に連れて行くために彼を車の助手席へ乗せ、わたしはその後部座席に乗った。すると走り出してすぐに、彼はさきほど胃におさめた食べ物をそっくりそのまま車内にぶちまけた。後部座席にいたわたしにもかかってくるくらいの豪快なマーライオンであった。空っぽの胃に何日ぶりかに物を詰め込んだので、彼のからだがびっくりしてしまったのだろう。泥だらけ・ゲロだらけで腹痛に苦しむ彼には悪いが、その有り様があまりに可笑しくて可愛くて、涙が出るほど笑い転げた。父とわたしは、彼のことが大好きになった。

彼が粗相をしたのは、あとにも先にも、その一度きりだった。
彼はとにかくしつけが行き届いた子で、はじめて来る我が家だったにも関わらず、室内で勝手にトイレをすることもなければ、食べ物を漁ったり物を壊したりすることもなかった。(トイレをしたいときは、玄関先でぺたんと伏せをして待っていた。ドアを開けると、庭で用を済ませて戻ってきた。)
吠えることも噛むこともなく、いつもニコニコとしていて、どんな犬とも人ともすぐに打ち解けることができた。

はじめてトリミングから帰ってきたときは驚いた。なぜならあのボロ雑巾っぷりから一転して、とんでもない男前を発揮したからだ。金色と銀色のカーリーな長毛をなびかせ、黒曜石みたいな目をキラキラ輝かせて見つめてくる美青年、いや美中年だった。(最初の診察でお医者さんから「たぶん5、6歳くらいかな〜」と言われたので。)
おっとりとしているけれどコミュ力がずば抜けて高く、そして底抜けに優しい、ハンサムなおじさん犬だった。わたしが寝込んでいるときにはそのふわふわの身体を擦り寄せて一緒に眠ってくれた。きょうだいと喧嘩したときは小さな身体で合間にちょこんと座って仲裁してくれた。反抗期でプチ家出をしたときは、黙って一緒についてきてくれたりもした。「この子はセラピードッグになれるだろうね」なんて会話をしたこともあった。

いつもの散歩コースに、同じようなもふもふ系を二頭連れた、品の良いご夫婦がいて、会うと必ず「本当に可愛い子だね。優しい目をしてる」と褒めてくれた。それを聞いて、なんだかとても嬉しかったことも覚えている。
動物が苦手という祖母でさえ、「この子は特別」といってよく可愛がってくれた。

忘れられないエピソードがある。小学校低学年くらいの夏、祖母の家に、彼とふたりで泊まりに行った。普段一緒に過ごす母も父もきょうだいも、今回はいない。祖母と3人でのお泊り会。自分の住んでいる街とは違う景色。なんだかちょっぴり大人になれたかのようで、わたしにとっては初めてのおつかい以上にドキドキとするイベントだった。
今思えば、どうして2人で泊まりに行ったのかは謎だ。自分から行きたいと言ったのか、行かされたのかも覚えていない。わたしの親も親で、犬に不慣れな祖母に、6歳そこらの子と犬を預けるとはなかなかチャレンジャーだと思うけれど、「彼がいれば大丈夫だろう」と、太鼓判を押されていたのかもしれない。そのくらい、お利口で人懐こく、包容力があって、その場にいるだけで安心感を与える犬だった。

お泊り3日目くらいのとき、彼を家の中で待たせ、祖母とふたりで近所のスーパーに買い物に行った。徒歩5、6分かそれくらいのものだったので、買い物して買ってきても30分足らずだったと思う。
帰り道、祖母宅の玄関が見えてきたとき、わたしは衝撃を受けた。玄関前の泥落としマット(田舎によくある茶色いふさふさしたあのマット)に、彼が、おすわりして待ち構えていた。わたしたちの姿を見るや、すっくと立ち上がって、マットの上で尻尾をふりふり待機していた。
なんで?とか、どうやって??とか、まさか自分で家から出たの?!とか、目の前が道路だから危ない!とか、わたしたちはすぐ頭の中がハテナと混乱でいっぱいになった。けれど、彼は落ち着き払っていて、その場を慌てて動くこともなく、わたしたちが家路につくのを静かに見守っていた。

今、そこの地域事情はどうなっているかわからないけれど、その当時は田舎特有で、鍵なんかかけずに出かけるのが当たり前だった。
どこかの誰かが勝手に戸を開けて彼を外に出した可能性も当然あるのだけれど、そのあと祖母がご近所さんたちと話しても、そんなようなことは聞かなかったらしい。

彼は、とても頭の良い子だったけど手足が短く運動神経もいまいちで(そこがまたたまらなくかわいい)、ちょっとどんくさいところもあったので、いくら引き戸とはいえ、自分でこじ開けるなんて到底考えられなかった。でも犬一匹が通る分だけ、うまい具合に戸は開いていた。

となると、彼は、きっと、わたしたちとほんの30分離れる淋しさに耐え兼ねて、短い手足と小さな鼻面で、一生懸命に戸を開けて、外に出たのだ(と思う)。真夏の太陽が降り注いで暑かっただろうに、わたしたちに一刻も早く会いたい、その一心で。
そして目の前が車道ということを(おそらく)きちんと理解したうえで、安全にも配慮して器用に「お留守番」をしていたのだった。

わたしは、このとき、「なんて崇高なんだろう」と思った。もちろんあのときなにをどう感じたかなんてもう覚えてない(し、言語化できるような年齢でもなかった)けれど、今思うのは「崇高な光景」だったということ。あれからそれなりに生きてきて、美しい景色も沢山みたけれど、このときの感動を超えることは、一生ないだろうと断言できる。

愛しくて、尊くて、たまらない気持ちだった。犬って、すごい生き物だ。そして彼は本当に素晴らしい犬だ。

一般的には、人間はありとあらゆる動植物よりも優れた生命体だとされているのかもしれないけれど、わたしは、自分のことを彼より優れた生き物だなんて、これっぽちも思っていない。
そして、わたしみたいなクズ人間が(順当に行けば)彼よりも遥かに長生きするだなんて、信じられなかった。この仕組みをつくった神さまとやらは、なんて馬鹿なんだろう、と思った。

その日以降、どんなに小さな用事でも、常に彼と一緒に行動するようにしようね、と祖母も言ってくれた。寝るのも食べるのも、ほんの少しだけ外の空気を吸いに行くときも一緒。

もちろん、何事もなく済んだ話だったからこんなことが言える。一歩間違えれば事故に遭ってしまっていたかもしれない。徘徊して二度と帰ってこなかったかもしれない。
そもそも、祖母も他界した今、この光景を見て覚えているのはわたししかいない。その当時も、実家に戻ってからありとあらゆる人にこの話をしたけれど「あの子はそんなことできないよ」と誰も信じてくれなかった。今でも信じてもらえていない。(そもそも母も、なんでわたしと祖母と犬3人でお泊り会をさせたのか一切覚えてないという始末)
だからこれは、わたしが生涯たいせつにしようと思う、わたしだけの神聖な物語だ。

その出来事から10年ほど経って、彼は死んだ。拾ってきた当時で5、6歳くらいだったから、まぁ老衰といえるレベルではあるのだろうけど、それでもさみしくてさみしくどうしようもなかった。

犬好きなら、こういったエピソードには事欠かないだろう。忠犬ハチ公とか南極物語とか、犬と人間が心を通わせる物語なんてこの世にいくらでもある。
それでも、彼はわたしたち家族にとって最初で最後の特別な犬だった。

眠れない夜に、わたしはよく彼のことを考える。あなたはもともとなんという名前だったの? 前の飼い主はどんな人だった? おしっこを我慢してつらいときもあった? わたしたちのことを愛していた? 幸せだった?

そして前の飼い主。
どうしてこんなに素晴らしい子を捨てたの?

今思えば、粗相をしなかったのも、愛想が良かったのも、最期までとにかくわたしたちに対して気を遣っていたのだろうと思う。
大人になった今ならわかる。彼はきっと、わたしたち人間の前で、必死に振る舞っていたのだ。
嫌われないように。もう二度と、捨てられないように。

本来の彼はもっと違う性格だったかもしれない。やんちゃ坊主で悪戯好きで、家中を引っ掻き回し遊んでみたかったかもしれない。
すべて憶測だ。よくペットを擬人化して台詞をつけるような動画があるけどそういうのが大嫌いなので、こちらが推し量るしかない。一生かかっても、答えはわからない。こんなに崇高な生き物を傷つけた前の飼い主も許せない。(飼えなくなった事情があるのは仕方ない。でも本来であれば正しい手順を踏んで人に譲るべきだ)
でも、ここまで人間が大好きな良い子に育ったのなら、相当な愛情をもってしつけをしていたことも窺い知れる。だからこそ、また複雑な気持ちになった。

そして…
前の飼い主が彼を捨てた場所に、たまたま無類の犬好きであるわたしの父が通りがかって、ルナのおかげで犬が大好きになったわたしもいて、即決で我が家の子になったこと。人生の秘蹟みたいなものが、あの日あの一瞬に凝縮されていた気がする。

村上春樹のエッセイで、「尋常ならざる出来事」という言葉が出てくる。一生に一度、あるかないか、その瞬間が来るかはそのときにならないとわからない、自分で選ぶこともできない特別な出来事のこと。
わたしにとって、エクストラオーディナリーな出来事は間違いなく、彼と出会ったことだ。

わたしは、宗教と人間の歴史に興味があって、付け焼き刃でも良いから世の中の仕組みみたいなものを知りたくて、いろいろ本を読むけれど、別に神なんて心の底から信じちゃいない。
でも、もし神さまというものが、人間にやすらぎを与え、死の恐怖を取り除くために生まれたものだとしたら、わたしにとっての神さまは紛うことなく、彼(ときどき彼女)なんだと思う。

苦しくて悲しく一睡もできない夜や、病気で激しい痛みに襲われたときにわたしは、彼のことを思い浮かべる。とても美しい夕焼けやきれいな月をみたときは、ふと彼女のことが思い浮かぶ。そして彼らがいる世界に引っ越せるんだと思えば、そんなに悪くないかな、と思う。

そうそう、本当なら、まず真っ先に思い浮かべるべきは、父のことなのかもしれない。(彼が死んで程なくして父も他界してしまったので)
ごめんね、お父さん。
でもまぁ、父が彼らとの御縁を結んでくれたのだし、きっと笑って許してくれるだろう。







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最後まで読んでいただいて(そんな物好きもいないと思うけど)ありがとうございました。
これは事あるごとにわたしが思い出す思い出で、一生忘れない自信があるのだけど、なにかの拍子に忘れちゃったら切ないので、なんとなく気が向いて綴ってみました。自分用に。
ヘタクソだし冗長になってしまったけれど、書きたいこと全部書いてお通じスッキリです。お付き合いありがとうございました。

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