ただただ自分のためだけのおぼえがき

2020年1月付で、一つ役職が上がった。
大した役職ではないが、数名をまとめる責任者的な立場にある。給与も少しあがったらしいが、ウェブの明細を確かめるのが面倒なので、自分が毎月いくらの給料をもらっているのか、明確にはわからない。生活に困る可能性がないくらいたくさんの給料をもらっているというわけではないのだが、潤沢な資金が必要なほど豪勢な生活もしていないので、いちいちチェックする必要がない。ATMでお金を下ろすたびに、明細書で残高をチラ見しながら「まあこんくらいありゃあ何かあっても1年は生きられる」などと考える。

弊社では年末のボーナスが支払われる時期に必ず事業部の責任者と面談を行う。私もまた上司と面談し、これからのことなど話をした。その際に言われたのが『役職が上がって給料が上がったら、嬉しくない?』。私が答えたのが『いえ、それほど……』。

先日、同僚の誘いで女4人集まってお泊まり会をした。その中に1人、およそひとまわり年上のひとがいて、彼女が言ったのが『役職あがったわけだから、もっと大きいこともしてさらに上を目指していくんでしょう?』。私が答えたのが『いえ、別に出世はそこまで望んでいません。仕事はあくまで手段であり、目的ではない』。

その前にもネパール出張のトランジットで1泊したタイ、バンコクで勤務している知人と夜飲みに行ったとき言われたのが『仕事にいちばん力入れるじゃないですか?』。そのときの私は、適当に相槌を打って話を変えた気がする。

上司とも年上のひととも知人とも、特に軋轢などなくむしろ風通し良く付き合っているとは思うものの、会話をすればするほど自分とは明らかに考え方も目指すゴールも異なることを実感する。他のひとと話しているときも同じだ。認知の歪みとかよく言うが、どちらが歪んでいるのかは分からないし、そもそも誰も歪んでなどいないのかもしれない。ただ私は誰と話していても、楽しい時間のあとに「なんだかなあ」というわだかまりが残る。

そういうとき人は孤独を感じると思うのだが、この孤独というのがまたなんとも味わい深いもので、バイクで遠出するとき、実家への帰省後自宅に向かう船の中、仕事帰りのラーメン屋、遠征先ライヴ終わりのビジネスホテルのベッドの上、同僚と飲んだ帰りにイヤホンで音楽を聴きながら電車に揺られているとき、噛み締めれば噛み締めるほどジュワジュワと美味い。私はどうにもこうにも独りが好きらしい。この『独りが好き』というのも他人とは共有しにくい好みだ。そもそも独りを楽しむためには独りでいなければならないので、他人と共有する必要もないのだが、独りを好まない人は独りを愛する人を巻き込んで誰かと一緒にいようとすることもあるので、共有とまではいかずとも「そういうひともいるんだな」くらいの感じで知っておいてもらえたほうがよい。

仕事については、大きな出世は望まない。出世して給料が上がると嬉しいが、責任が大きくなりすぎると会社を休んでライヴに行くことができなくなってしまう(上司たちがそういう働き方をしている)。絵を描く時間もなくなる。そんな人生はやっていられない。

信じてもらえないかもしれないが、私はまあまあ責任感の強い人間だと思うし、仕事はできる範囲でめちゃくちゃ頑張っている。速度も精度も向上するよう最適解を求め、効率を重視し、定時までに必要量の仕事を終わらせる。納得がいかないときは上司に食い下がることもあるし、熱を持って働いている。のだけれども。同僚たちもよい人々だとは思う。のだけれども、そういう、仕事にかけるハートの周波数が合う者はおらず、今となっては各々が勝手に頑張ってくれという気持ちであり、そのことはさらに私から「他人への興味」という思考をこそぎ取り、なおさら出世してさらに部下をまとめあげて、なんてことへの興味も失わせる。みんな別にどんどん私を置いていって出世して稼げば良い。そのあいだに私は私のやるべきことをちゃんと終わらせ、そしてライヴへ行く。

今つながっている人との関係を捨て、地位を捨て、世を捨てて、旅に出たいなあ。
苦労するためとか世界を知るためとかじゃなく、ぬくぬくの環境下でただただ知り合いのいないところへ行きたいなあ。飲んだことのないビールを飲み歩き、ノートPCとワコムのペンタブレットを携えて、電源があるところだけを渡り歩きたいなあ。月に1回はライヴで汗をかき、物価の安い国のリゾートホテルのベッドの上で、コミックシーモア開いて漫画ばっかり読みたいなあ。

私は人が生きることに意味などないと思っているけれど、意味があってほしいと思っている人のほうが世間には多いと感じる。その意味に当て込むのは「仕事」であったり「結婚」であったり「こども」であったり、とにかく様々なのだけれど、私の場合はあえていうなら「絵をかく」とか「ライヴへいく」とかなのだけれど、だけれども、だけれども…

わかってほしいわけじゃないんだけど、わかってもらえないから話も通じないというのは、何とも悩ましいなあ、という何の解決にもならない話でした。