分からん

世の中の流れを感じようとする傾向が最近強い気がする。まだ、たかが20年しか生きてないのに。

授業で社会学をとっていたり、就活で将来を考えることが増えたりしたことが背景にあると思う。別に、考えたところで明確な答えは出ないし、どうでもいいしなるようになるとも思いたい。

自分の中でいまは、分かりやすいものが好まれる傾向にあるなと思う。読んで分かるというより、画像・動画で見たら分かるというか。なんでも全部が説明される。それがイヤというわけではないけど、なんだかなあとも思う。それで、自分が分かるモノを効率重視で手に入れたところで本当にそれ分かったの?みたいな。単純なものは意外と少ないし。あ、だからこそ分かりやすいものが流行るのか。

コスパ・タイパという言葉が流行ったのもこういうのに帰因してくるのかなと思う。モリラジで「不自由なことこそのちに懐かしめる」というテーマで話した。振り返ったときに覚えてるのはある程度の不自由で(例が気になる人はラジオ聞いて)。でも、効率!効率!と言われ、便利になったものが5年後10年後覚えているのかな。効率だけ、速さだけのものには温度感がない。

SNSだって乱雑に自分の興味のあることが次々と流れてくる。でも、主体的ではなくて受動的。流れてくるものの中から自分が気に入ったものを見ている、選んでるだけ。だからこそいまでは、何かにのめり込んでいるオタクが憧れの対象になる。オタクは対象に主体的だから。

みんなオタクに憧れるけど、オタクにはなろうとはせずに流行りをつまみ食いしていく。そんだけ流行りの移ろいが早すぎるというのもあると思う。なんかよくできたバランスだなと思う。

ここまで書いたけど、だから何ってところまでは言語化できない。

以上、思考の記録的なものでした。

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