ピラミッドのてっぺんから──
①まとめブログについて思っていたこと
かつて、まとめブログを眺めていた頃から、思っていたことがある。本当にこのブログの管理人は、こんなことを書き込むような人たちと、似た思考をしているのだろうか、ということだ。
ことにセンシティブな政治思想に関する書き込みをまとめているものは、アフィリエイトが目的なのではないかと疑っていた。あるいは同一人物が運営しているのではないかとまで思っていた。一方では右を煽るブログをまとめ、しばらくしたらタグを変えて左を煽る。おおかたそんなことをしているのだろう。そしてそれがそれぞれのアフィリエイトとして、管理人の懐を膨らませていく──
複数の、しかも全く異なる方向性のアフィリエイトブログの管理人が同一人物である。
所詮これは推測でしかないが、ズバリ当たっていると思っている。たとえスハリ外れていても、誰もそれを外れていると指摘することもできない。実名ではできないことも、匿名ならばやりたい放題なのだ。
②令和6年4月16日 毎日新聞夕刊
そんな昔の感慨を思い出させてくれたのは、令和6年4月16日の毎日新聞の夕刊の記事。「偽情報の氾濫 なぜ」「森亮二弁護士のフェイク論」といった見出しである。
記事はまず、政治家や芸能人の映像や音声を加工した偽情報が出回っていることに言及したうえで、森氏の「それをフェイクニュースと呼ぶのは適切ではない」「そう呼ぶと、問題の本質を捉えづらくなる」という見解を示す。
さらに森氏は「組織ジャーナリズムによる誤報と、対策が検討されるべきフェイク情報とは、区別して考えたほうがいいです。後者はフェイクニュースではなく、フェイクインフォメーション。誤情報、偽情報と呼ぶ方が、問題を浮き彫りにしやすいでしょう」という言説と、「ニュースではない個人の情報発信だからといって、その影響を軽視できません」という。
そのうえで記事は、意図を持って事実と異なる情報を流すことの影響が顕著に表れるのが選挙であると、最近の選挙において散見された誤情報や偽情報とその影響について触れるとともに、こうしたデマを広げるインフルエンサーが、ネットの世界では数多く存在すると断じている。しかし森氏は「難しいのは、こうした情報を流したからといって、それだけで直ちに発信行為を『違法』とはできません。表現の自由にも関わりますし、いたずらに国が規制すれば、都合の良い言論統制になりかねません」と指摘する。
ここで記事は話の根底である、なぜこんなにも偽りの情報があふれるのかということに触れ、これに対して森氏は「アテンションエコノミーの影響が大きい」と答える。
アテンションエコノミーとは、関心経済と訳されるといい、質より量が重視される経済システムのことだという。情報についていえば、その真偽よりも、関心や注目を示した閲覧者の数が重視され、アクセス件数が多ければ多いほど利益も大きくなる仕組みだという。
森氏は次のように言う。
「自分の投稿を見てもらうこと、拡散してもらうこと、『いいね!』してもらうこと。それが直接の収益を生みます。正しいかどうか、ではありません。ユーザーが見たいのかどうか、面白いと思うかどうか、が情報を価値づけるポイントになっています」
「厄介なのは、質より量を重視するのは、ネットの発信者だけに限らず、そのデジタルプラットフォームも同じだということです。プラットフォームとしては、情報がより多く拡散され、ユーザーが増えれば広告収入が増える。投稿者が小銭を稼ごうとすれば、プラットフォームにとっても利益になる」
「アテンションエコノミーを前提に事業を行うプラットフォームが、偽情報、誤情報を積極的に規制する方向に向かうとは、なかなか思えない」
そして記事の最後は、「広告収入に頼る今のデジタルプラットフォームが、アテンションエコノミーのメカニズムから離れることは、当面はありえません。だからこそ、量ではなく、質に価値を置くジャーナリズムの存在意義が問われています」という森氏の言葉により、さながらジャーナリストへの啓発のように締められている。
胸のすくような記事であったし、そのほとんどは森氏の言説だ。自分が常日頃から考えていたことをより明快なアウトプットで示してくれている。僕が言いたいのはこういうことだ。
しかしこれだけでは足りないし、これだけでは僕がこんな文章をまとめる理由もない。
僕は記事では指摘されていない、偽情報や誤情報を減らす方法を知っている。僕はここでそれを披露しようというのだ。
③偽情報や誤情報を減らす方法
偽情報や誤情報を減らす方法は、利益を減らすための方策を取ることである。
すなわち、税金を課すということだ。これは重ければ重いほどいい。
それもプラットフォームにではなく、発信者に対してである。
この際、発信されている情報が、偽情報であるか誤情報であるかはどうでもいい。情報が発信され、アテンションエコノミー的に収益化されていれば、それだけでいい。その収益を得ている発信者に対して、重税を課していくということだ。
情報発信をしている者たちの目的は様々だろう。他者とのつながりを得るため、表現技法の一発露、自己顕示欲や承認欲求の解消・・・もちろん商品やサービスの宣伝といった金銭的対価を目論んでいることもあれば、情報発信そのものによる収益化を図っている者もいるだろうし、これらのうちのどれかひとつだけとも限らない。
ただし金目的、しかも金を得るための宣伝ではなく、情報発信による金目の者たちは、利鞘が薄膜にまで減れば自ずと手を引く。ここには金のために偽情報や誤情報を垂れ流す者たちも自ずと含まれる。そしてハナっから収益化を求めていない者たちは、各々の目的に縋り付き寄り掛かりながらも残っていくわけだ。
この税政策は、もちろん表現の自由を制限するものではない。自由に表現されたその成果物に対して、課税あるいは増税するだけである。収益が減ることで表現が委縮されるというのであれば、その目的はもはや行き違っている。遠慮はいらない、もっと割のいい商売に鞍替えしたらいい。当然、言論統制でもない。右でも左でも真ん中でも、収益に対して税を課すという公平な取り組みである。
それでもなお課増税されることに対して文句を言いたのであれば、僕ではなくて正しくないことで儲けた奴らに言えばいい。そんな奴らがいなければ、僕もこんな発想を抱くことはなかった。
④国家よ収益化を図れ
デジタルプラットフォームが世間に浸透して久しいが、長いサービス期間も終わりを迎え、ものによっては利用者から利用料を取るようになった。
どっこい利用者も、そのプラットフォームの手のひらの上で踊ってみせて、あわよくば収益化を図っている。
肥大化するプラットフォームを警戒し、そのプラットフォームに規制をかける国家も出てきているように、国家が踊り子に課増税をしたって、誰も文句は言うまい。いや課増税されて文句を言わない人はなかなかいないだろうが、これも収益化の一端だ。文句を言う筋合いなど、誰にもないのだ。
⑤──古き良き時代を偲ぶ
かつての人気番組だった『プロジェクトX』が『新・プロジェクトX』に刷新されて、折角なので欠かさず見てみようと思っているところ。「あンときはこンなことしてたなあ」と、自分の半生をなぞる気分で感慨深くもある。
『プロジェクトX』で取り上げられていたものは、自分が生まれる前のものも多かったことだろう。しかしその頃の収益というものは、良いものを作ったり行ったりすれば、付随してくるものだった。古き良き時代といえようか。
昨今は収益を上げることが目的になり、作られるものや行いが、必ずしも良いものではなくなった。あるいは収益を上げているから良いものなのだと、声を揃えて嘯くようになった。
僕がエコノミックアニマルの咆哮をうまく聞き取れないのは、人間である証だと思う。
そんな動物たちからむしり取るのは少々気が引けるが、ここは人間の国なのだし、僕たち人間は生態ピラミッドのてっぺんであるというから、彼らに感謝をしつつ、いただくことにしたいものだ。
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