不可欠と可欠
一昨日のニュースより。
「不可欠なパートナー」っていい言葉だ。だって「あなたがいないと、私だめなの」ってことだもの。言われてみたい。
逆に「可欠」って聞かない。
「可能」と「不可能」はよく聞くけど、「不可欠」ほど「可欠」は聞かない気がする。
調べてみたら「可欠アミノ酸」という言葉があって、コトバンクによると「非必須アミノ酸ともいう。食物の中に含まれていなくても欠乏症状の認められないアミノ酸」なのだそうだ。へぇー。
でもこれって「なくてもいい」ってことだ。
「可欠」とか「非必須」とか言われると「ふーん」てなもんだが、「いなくていいよ」って言われたら、かなりへこむ。
「君は『可欠アミノ酸』だよ」って言われても、「はぁ」てなもんだが、「なくていいアミノ酸」に分類されたら、アミノ酸だってへこむと思う。
英語で言うと「ディスペンダブル」だが、「ユーは我がティームにはディスペンダブルだ!」って言われたら、むしろ誇らしくさえあるが(そうか?)、「お前、明日の試合来なくていいよ」って言われたら、泣いちゃいそうだ。
そういう意味では、日本人が漢語や英語などの外来語を多く取り入れてきたのは、言葉をオブラートに包み、摩擦を避ける意味もあったのかもしれない。
「戦力外通告」されたらなんだか身が引き締まるし(そうか?)、「ユー・アー・ファイアード!」って言われたら逆に燃えそうだが(そうなのか?)、「クビ」はすなわち死を意味する(それはそうだ)。
クビにされるくらいなら、解雇されたほうがいいでしょ?(どっちもヤダ)。