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昭和62年の宝塚歌劇を振り返る

GW特別企画・在宅研究で「昭和62年の宝塚歌劇」について振り返ってみようと思います。なぜ昭和62年にしたかというと、自分が一番宝塚歌劇にハマっていた年だったからです。平成の「ベルサイユのばら」ブームの起こる2年前。当時中学生でしたが、大人になってから振り返ってみてどのようなことが起きていたかを見直してみます。

当時の各組の主要メンバー

当時の各組の主要メンバーはこの通りです(カッコ内は初舞台の年です)。トップスターの4名は昭和40年代後半が初舞台で、昭和の「ベルサイユのばら」に出演していた世代ですね。もちろん、まだ4組制の時代です。

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各月の出来事

次に、月毎にこの年の出来事と私の思い出を並べてみます。作品の上演時期は、大劇場をベースにしています。

1月
星組で「紫子」、「ジュビリー・タイム!」上演。「紫子」は後年再演もされた木原敏江作+柴田侑宏演出シリーズの名作。峰さんの紫子は彼女の当たり役の一つでしょう。日向さんの忍者の吹雪もええ男でした。
後日NHKで中継録画を放送しましたが、録画時間を失敗して最後の2分ぐらいが切れちゃったトホホな思い出が。

2月
花組で「遥かなる旅路の果てに」、「ショー・アップ・ショー」上演。私は残念ながら見ていないのですが、主人公のサビーニンは高汐さんにぴったりの役だったらしい。観に行きたかったです。

3月
雪組「宝塚をどり讃歌」、「サマルカンドの赤いばら」上演。前者は春日野八千代先生の勲四等宝冠章受章を記念した作品。
この公演は天海祐希さん、匠ひびきさん、姿月あさとさんたち73期生の初舞台でした。
私は7月の東京公演に友人と観に行きました。春日野先生の舞台を初めて拝見して感動しました。それからサマルカンドの地名は「サマルカンドの赤いばら」で覚えました。

4月
演出家の内海重典先生が勲四等瑞宝章受章。「南の哀愁」といった宝塚の作品の他に、大阪万博やポートピア'81の開会式なども演出された「式典の神様」。翌年、先生の受賞記念で「南の哀愁」は月組で再演されました。主題歌の「タヒチの歌」は名曲です。

5月
月組「ME AND MY GIRL」上演。現在に至るまで何度も再演されたミュージカルの初演!
私は8月の東京公演で観ましたが、ブロードウェイ・ミュージカルとは味わいの異なる、落ち着いた感じもあるこのロンドン・ミュージカルにすっかり魅了されました。剣さんのハートが温まるビルの名演、こだまさんの剣さんとの素晴らしいコンビネーション、未沙のえるさんの立っているだけでひたすらおかしい弁護士のパーチェスターは今でも忘れられません。

6月
星組「別離の肖像」上演、峰さんのサヨナラ公演。日本民謡のショー、ブラック・コメディにラブロマンスの三本立て。
11月の東京公演で観たときに、日本民謡のショーが結構面白かったので、これをきっかけに日本の民謡に興味を持つようになりました。

8月
花組「あの日薔薇一輪」、「ザ・レビュースコープ」上演、高汐さんのサヨナラ公演。「ザ・レビュースコープ」は、日本最初のレビュー「モン・パリ」上演60周年を記念した作品。
12月に「あの日薔薇一輪」を東京で観て、サヨナラ公演にして高汐さんのファンになってしまいました。トレンチコートを着た姿が決まりすぎてかっこよかったからです。

9月
雪組「梨花 王城に舞う」、「ザ・レビュースコープ」上演。後者は花組からいくつかの場面を変更しての再演。こういう組みまたぎでの続演は久しぶりだったらしいです。
この公演は、東京公演がありませんでした。このころの東京宝塚劇場は、1年のうちの7か月が宝塚の公演、残りの5か月は東宝系の公演を上演していたのです。したがって必ず年に1公演、東京公演のない組がありました(泣)。

11月
月組「ME AND MY GIRL」を速攻で再演!しかも剣さんと涼風さんが役替わりもやるというぜいたくなオプション付きでした。
そしてこの公演の新人公演で、天海祐希さんが宝塚史上初の研究科1年にして新人公演初主演!という快挙を成し遂げたのでした。

この月、峰さを理さんが東京公演で宝塚に別れを告げました。

12月
同期の峰さんに続き、高汐巴さんがこの月で宝塚を退団されました。
そして私は初めて「推しが宝塚を退団する」という喪失感を味わいました。

まとめ

こうしてまとめてみて、下記の点に気づきました。
・昭和のベルばら世代から平成のベルばら世代への代替わり
実はこの年は平さんも翌年に退団するという発表がありました。トップスターが峰さん、高汐さん、平さんと昭和の「ベルサイユのばら」に出演した世代から、大浦さん、日向さん、杜さんと後に平成の「ベルサイユのばら」の主演をされる方々へ代替わりした訳です。

・昭和の大抜擢世代から平成の大抜擢世代へ
峰さん、高汐さんと対談された寿ひずるさんは、研究科2年の時に「この恋は雲の涯まで」の新人公演で大役に抜擢され、そこから飛躍を遂げました。峰さんと高汐さんが退団したタイミングで、天海さんが大抜擢されたことにも時代の移り変わりを感じます。
そういえば、昨年の初めに開かれた宝塚のOGが出演するコンサートで寿さんのソロに峰さん、高汐さんが陰でコーラスをつける場面を観て「ああ、三バカトリオ(と呼ばれていた(;'∀'))がそろった!!」と胸アツだったのを思い出します。その1年後に峰さんの訃報を聞いたのでした。

・名作がザクザク上演された年
「紫子」、「ME AND MY GIRL」と後に何度か再演される名作の初演がこの年にあったことも特筆すべきことでしょう。
個人的に、「ME AND MY GIRL」の初演(東京公演ですが)を観ることができたのは今も大きな思い出になっています。ちなみに当時の東京宝塚劇場は3階席で1000円という、中学生のお財布にも優しい小林一三価格でした。

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この時期は、昭和のベルばらベームもひと段落ついた時代(私と友人は「ベルばら」観たい!と常々叫んでいた)ではありますが、掘り返してみるとこのように興味深いトピックがあるものです。

そして、中学生という感受性の深い時代に宝塚にどっぷりハマる時間を持てたことも幸せだったなあ…と思いました。

参考文献:宝塚ステージ・アルバム  1988年版(宝塚歌劇団・発行、昭和63年3月刊)

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