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柚木沙弥郎氏の訃報によせて

気づけばもう2月も9日になってしまった。元日の地震、そこから連日のように続いた震災の悲しいニュースから、もう一か月も過ぎたのか。
時間は絶えず流れ、永遠なんてものはこの世にありはしないと、もう32年も生きた僕にもよく分かっている。それでも、美しいものに永遠を感じてしまうのは、僕がロマンチストに過ぎるからだろうか。

染色家・柚木沙弥郎氏の訃報は、昨日の朝に知った。

御年101歳。昨年秋に百貨店で展示会をしていた。本当に、最後の最後まで、芸術家であり続けた方だったのだろう。
僕が言えた義理ではないが、天寿を全うする、というのはきっと柚木氏のような終わり方のことを言うのだろう。

101歳、そうか、そうだよなぁ。仕方がないよなぁ。むしろ天晴とも言えよう。それでも、どうにも寂しい。
そんな気分でなんとなく、noteを開いた。

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柚木沙弥郎の作品に出合ったのは、5年ほど前のことだった。

妻がまだ僕の彼女だったころ、二人で長野は松本に小さな旅行をした。初夏の頃だった。
松本市美術館で、二つの展示が開催されていた。一つは草間彌生、もう一つが柚木沙弥郎の展示であった。

(僕らはその前日の夜、二人で甲府で飲み、〆のラーメンを啜りながら「明日ちょっとおでかけしようか?」なんて何の気なしに話し、その勢いでプランを立て、ホテルを取り、約束をした。まったくの偶然で僕らは、その日を引き当てたのだ。)

草間彌生の展示は「わが永遠の魂」という題で、草間氏がいずれ来る自身の死と向き合い、その死を持って自らを芸術として完成せしめんとする、鬼気迫る心情が発露された、ある種のタナトスが渦巻くような展示だった。
怖くなってくるほどの圧力を湛えた作品群に、いささか暗い気持ちになった。

対して柚木沙弥郎氏の展示は、齢九十を過ぎた氏の「いま」を並べたものだった。
大判の布に、のびのびと描かれた、図形のような絵のような不思議な模様が、鮮やかに踊っていた。鮮やかな色、鮮やかなコントラスト。はつらつとした、自由闊達なイメージが伝わってくる、すてきな展示だった。

その時から僕の人生に「柚木沙弥郎」という名前がインプットされた。

その後、偶然立ち寄った書店で、柚木氏の名前を見つけ、その本を買った。
読むと、ひたすらに作品を作り続け、歳とともに研ぎ澄まされてきた氏の生きざまに胸を打たれた。
そして、氏の作品が、作品として、あるいはアートワークとして、松本の街のいたるところに使われていることを知った。民芸品店の展示として。食堂のメニューとして。洋菓子のパッケージとして。生活の中にある美、「民藝」という考えとその実践に、何をか腹に落ちるものを感じた。
この時から僕は、彼のファンになったのだろう。

そこからは、機会があれば彼の作品を見に出かけた。

2021年の立川市での展示は、テキスタイルだけでなく絵本などの作品も揃え、彼の創作意欲が年々旺盛になっていく様を観られた。派手過ぎず素朴で、それでいて命の喜びが湧き上がるような色使いが素敵だった。

翌2022年には生誕100年を記念した展示が、彼が長年教壇に立った女子美術大学で行われた。
数多くの展示と、それに使われる注染の技法の解説、染料、染める生地の素材などの説明もあり、工芸家として染色を突き詰めた彼の姿が垣間見えた。
展示パネルの中に、彼の近影があった。
ハットに白いシャツ、スラックスという洒落たいで立ちで、杖を小脇に座っていた。シャツの裾から出る手は細く骨ばって、ハットの両脇からは白髪が流れる。深くしわの刻まれた顔は、優しさを滲ませながら、どこか超然とした雰囲気があった。
この老人のどこに、こんなにも生命感あふれる作品を生み出す力があるのだろう。そう思った。

昨年2023年には、日本橋高島屋での展示(僕は行けず、妻が見に行った)。
その年のクリスマスに日本民芸館で開催されたイベントのポスターは、彼の作だった。鮮やかな小鳥が描かれた、いつもの沙弥郎節の、かわいらしいポスターだった。

あのポスターを民芸館の前で観てから、約一月半。
柚木沙弥郎は、しずかに、旅立ってしまった。

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昨年の夏にちきりや工芸展で買った、柚木氏のカレンダーを眺めながら、なぜ僕は彼の作品に心惹かれたのだろうか、と考える。

ひとつに、そのはつらつとした色と形にある。
柚木レッドとも呼ばれる、朱に近い赤は、日本民芸然とした独特の色で、そこに重なる緑や黄色も、少しくすんだような、温かみのある色をしている。人であれ、動物であれ、生物であれ、あるいは不思議な図形であれ。迷いも無いように力強く、それでいてユーモラスに描かれた姿が印象的だ。
どこかに人間のプリミティブな自由さを持ち合わせたような色と形が、僕の心を惹きつけた。
人間の、自由闊達な生命が、そこに現れているような気がしていた。

もうひとつは、彼の作品が「民芸」であったことだ。
大判の布にパワフルに描かれたと思ったら、次はバッグや財布のデザイン、その次はお菓子の袋。額に飾られるでも、とんでもない高値がつくでもなく、生活のそばに置いておける作品。日々の中で愛着を持って使えるものがある喜び。それは所謂芸術と呼ばれるものよりもかえって真に迫っている気がした。

現実的に、作品の質と作家の人間性はイコールではない。素晴らしい作品を作ったとしても、その人が素晴らしい人間である保証はない。

でも僕は、限りなくイコールであってほしい。

その点で、柚木沙弥郎は優れていた。人間性が作品と繋がっていると信じることが出来た。
それはきっと作品に嘘が無かったからだろう。様々な書籍から伺われた彼の印象は「素直な気持ちで作品を作り、美しいものを愛し、日々をつとめて明るく生きる、老いてなお瑞々しい感性を持った人」というもので、それが作品に現れていたように思う。繰り返しの文様の中に様々な技巧を凝らし、注染を突き詰めた初期。鮮やかな色使いとユニークなデフォルメのコントラストで作風を確立させた中期。余白を恐れないシンプルな、図形的な図案で、自らの持つ色と形に対するセンスを表しきった後期。近年には絵本やイラストの作品も多かったようだ。
年を重ねるごとに感性がプリミティブになっていくように感じられた。その姿は、僕が本の中に見つけた柚木沙弥郎のイメージと、ぴったり重なっていた。それが嘘がないということで、信じられるということだと思う。

彼の作品は、彼の人生と地続きになっている気がした。それが好きだった。

僕も、ロックンロールスターは大好きだ。だがロックンロールスターの生活など知りたいとは思わない。
ステージの上で光を放つ人間は、否応なく、一種の偶像となる。そして生身の本人とのギャップがどうしても生まれてしまう。僕はそのギャップが小さい人の方が好きなのだが、もちろん、ステージの上に立つ自分を華美に着飾るタイプの人間も多くいるだろう。むしろそういう人の方が多いんじゃなかろうか。
また、評価されることを主軸に置いて、自分の表現から遠ざかっていくような人もいるだろう。
それは、本人が意図するところでは無くとも、嘘のように伝わってしまう。少なくとも僕には。

民芸というのは、作品と生活を地続きにすることのように思う。
生活の中に作品があり、製作があり、それが日々を豊かにし、通り過ぎてしまいそうな些細なものへの愛に変わり、そして新たな製作のエネルギーとなる。
そういう素朴でいとおしい循環があるように思う。
柚木沙弥郎という人は、そのいとおしい循環の体現者だったのだろう。

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見渡してみると、ずいぶん彼の作品が、僕の生活に交じってきた。
今年のカレンダーは別種で2つあるし、「生命の樹」のポストカードはキッチンの前に飾ってあるし、財布もある。
それぞれが素敵な思い出と紐づいて、僕の愛になっている。

もう彼はこの世界にいない。でも、作品はいろいろな形で、僕のそばにある。そこに嘘がないなら、きっと永遠に真実であろう。

彼の作品から今も感じられる、溌溂とした生命の喜びと、素直で伸びやかな精神は、これから何度でも、僕の背中を押してくれるのだろう。そんな気がしている。

柚木沙弥郎氏のご冥福をお祈り申し上げます。

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