KYOTOGRAPHIE 2019 ベンジャミン・ミルピエ 暗闇の中の⾃由『Freedom in the Dark』by Benjamin Millepied
会場:誉⽥屋源兵衛 ⿊蔵
2019.4.13-5.12
7年⽬を迎えた「KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭」2019 年テーマは「VIBE」。写真専⾨家ばかりでなく美術家、社会活動家、と幅広いアーティストの参加が特徴だ。
印画紙に定着させることも⾝体表現ということだろうか。なかでもこの年、元バレエダンサーで映画監督でもあるベンジャミ ン・ミルピエ⽒(以降、敬称略)が、写真家としての初個展『Freedom in the Dark』を京都で封切る。(同年、東京青山へ巡回)
京都帯匠の歴史的建造物「⿊蔵」の1階から3階の屋根裏までが効果的に使 われ、4つの組写真と⼀篇の映像を観ることが出来る。4 ⽉ 12 ⽇〜13 ⽇オープニング2⽇間に渡り、ミルピエ⾃らが作品説明を⾏う機会に恵まれた。
まず、1階エントランス壁⾯に敷き詰められたモノクロームの街頭写真がある。これは 2012 年ミルピエが L.A.に構えたスタジオ周辺で撮影、画⾓の⼿前には⿊いシルエットで人々が配置されている。いまこの路上で、何が起こっているのか?現代社会に操られるパペットのような⼈々。情報に時間を奪われ集中⼒を失っている危機感。振付家という職業柄、建物や道⾏く⼈々を観察するということはとても重要で、ミルピエ⾃⾝15 年ほどのキャリアのなかでターニングポイント(会社設立時期)に感じたことをfixしておく必然性があったのだと⾔う。テクノロジーの発達による⼈々の時間の使い⽅の質、表現の質、アートの質の低下、⼈々は深い会話をしなくなってきている。サルトルの古い作品にも⼈々がテクノロジー(その時代の革新的な技術)に隷属するような話がある(昔から似たようなことは⾔われているんですね)。
ヨーロッパからアメリカに戻ってきたときに感じたアメリカの社会に⾛るある種の緊張(オバマからトランプへ政権交代を指している)、資本主義の街ハリウッドは観光地でもあるが、スマートフォンみながら歩いている⼈の⼀⽅でホームレスの⼈たちもいる。⾃分の意思で動いていない⼈々は「⾃由ではない」よね と。(日本の都市に住むわたしたちはどうだろうか。SNSで人を自殺に追いやるような、視えない敵と戦い時間を奪われているし、ネット空間に翻弄されている)
ミルピエは⾔う。舞台作品を創り、上演する環境を保つことは重要。定期的に観客が⾒に来てくれて、パフォーマーがちゃんと仕事をしていけているそういった状況をキープしてい くことに努⼒してきた。劇場でダンス作品を鑑賞するような状況は、奪われてしまった ⼈々の集中⼒を取り戻すふさわしい場所だと感じている。「⼦供の頃のように、無邪気に躍りだすときの創造⼒に満ち溢れる感覚を想像してみてください。」
1階奥のインスタレーション。パフォーマンス中の、ダンサー⾃⾝の変容の瞬間、 ダンサー⾃⾝が⾃覚していない何かを写し取ったもので、⾃由をもとめる渦中のぶれや物言わぬ感情、、このインスタレーションは、ダンサーの動きの軌跡をとらえた等身大が映るサイズのミラーが角度をずらし組み合わされた空間が作られており、鑑賞者が動きながら、アングルに酔って天使のような残像を気配で感じとれる不思議な空間に仕上がっている。
2階に進むと、男性ダンサーの表情をとらえた連続写真。⿊い空間(余⽩)のセンスにドキリとする。
突き当りワイドスクリーンのビデオダンスは映画とは異なり セリフもないが、場ごとにストーリーを運んでいる。動と静状態が彫刻のように配置される。振付家は、ポーズ(静⽌状態)とも向き合う。
映像の中の群舞は、ロダンの彫刻のように動きの瞬間を切り取ったり、マッス(塊)で捉える彫刻の作業にも重ねられる。
螺旋階段を上る3階は、環境⾳を採録した音声と合わせて、ダンサーの⼿⾜部分 にフォーカスした連続写真のインスタレーション。⿊倉の屋根裏内側のカーブに拡がった単なる平⾯写真ではない設え。オーディエンスはその体感を振付られているかのよう。 蔵の空間が生かされていて秀逸だ。
新作映画「カルメン」について質問した。クラシックな題材を現代において再構築、メキシコ⼈の主人公が亡命の道中、国境警備隊ボランティアと恋に堕ちるという設定。ライティングやカメラワークも含めまったく独⾃の世界観で創っているという(そりゃそうだろう)。 日本での公開は未定なままであるが、物語バレエの題材をコンテンポラリーに仕上げる彼のセンスに興味が湧いた。早く確認したい気持ちでいっぱい。。
以上、ほぼ⼝頭トークから印象に残ったことばを拾い繋げ書き留めておく。 初の個展を世界に先駆けての貴重な来日だった。映画「ブラック・スワン」で共演がきっかけでナタリー・ポートマンさんと結婚していることは有名だが、今回誰も家族のことには触れず作品に集中して傾聴していた。仕事が終わったら家族で京都を楽しむと締めくくった。(↓作家近影は筆者iphone撮影)
supported by Zadig & Voltaire
Kondaya Genbei Kurogura
©Takeshi Asano - KYOTOGRAPHIE 2019
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