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壊れぬハートが欲しいのだ

社会人になり1年程、そろそろ社会というものがどういうところなのかよくわかってきた。まだ大人として一人前になっている気はしないが、大人と共に日々働くにつれて大人としての振舞い方が自然にできるようになってきた。と感じている。
多少のことでは感情は動かない。動かさない、というのが正しい表現かもしれないが、よく言えば心が安定している。悪く言えば心が動かない。それが大人であることも学んだ。
最近の私は、少し昔の学生時代の感性とは大きく変わったという自覚がある。これが学生時代私が求め続けていた「大人になる」ということなのか。

昔の私は、楽しいことがあればその都度一喜一憂。辛いことがあれば飽きるまで嘆き叫ぶ。都合の悪いことは見て見ぬふり。そうして自分に蓋をして、自分に蓋をしていることに気づきつつも思い通りに生きるために自分を肯定し続ける。それが暴かれそうになった時には若さを理由に逃げ、再び封じ込める。そんな救いようのない学生生活を送ってきた。
それが今ではどうだ。涙を流しながら人生のどん底だ、もう死ぬしかないと、意味の分からない悲しみをぶつけることもなければ、友人とバカ騒ぎをして、楽しすぎて頬の筋肉が釣りそうになることもない。社会に出てから一度もない。その代わり圧倒的な心の安定を得ている。そんな状況に無理やり納得をしている。
どちらのほうが楽しく生きているだろうか。

こんなことを書いている時点で心が安定しているというのは嘘になってしまうのかもしれない。まだまだ壊れないハートは持ち合わせていないのかもしれない。
そう思うと少しほっとする自分もいる。おそらくこれが答えなのだろう。
少なくとも私の場合は、たまにメンタルが崩れて不安定になったほうが生きていることを実感できる。そんな変態なんだと思う。
あの頃に戻ってやりたい、いつ仕事を辞めてやろうか。最近はそんなことばかり考えている。
そんなだから、私はまだまだ「大人」にはなりきれていないのだろう。


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