3月14日

あまりに僕が毎日帰るのが遅いのを見ている後輩から、「生活していますか?仕事だけしていませんか?」と、二人きりの21時の事務所で言われる。仕事をしている。けれども、日々思うことはあって、僕は生きることは思い出すことだと思っているところがあるから、考えられる限りは生活もしていると思う、と答える。

もう二度とやりたくないことを思い出した。
長男が生まれた時、義理の父母が、3歳の娘との二人きりの僕の生活を心配したのだろう、GWの間確か10日間くらいだったか、うちに来て過ごしなさい、と言われ、本当は自分の家にいたかったのだが好意を断ることができず、やっかいになることになった。

自分の家でないこと、好きとか嫌いの問題ではなく、どうしたって気を遣う義父母とずっと一緒にいること、幼い子どもと四六時中いることに僕は強烈なストレスを抱えた。

少し時間があれば、車で長女を公園や住宅展示場に連れ出して(住宅展示場は子ども向けのイベントが結構やっている)、その後自宅に帰って、持ち帰ってきたパンツを洗ったりした。自分のはいたパンツを義母に洗われるのも、洗わすのも嫌だった。自宅で少し気を抜いてから、また義父母の家に戻る、ということを続けて、何とかその日々をやり過ごした。義父母の家で、トイレに貼られているカレンダーを見て、毎日、指折り、この生活が終わる日々を数えた。あともう少し、あともう少し、と耐えた。

僕は社交性がなく、面白い話もできず、愛想も悪く、とっつきやすい人間でもなく、よく笑う人間でもない。できれば一人でいたい。一人で歩いたり、走ったり、音楽を聞いて考えていたい。

そのときは、そんなことは一切許されなかった。文字通り、寝ている間しか一人になれなかった。それ以外の時間は朝から寝るまで、義父母か長女が必ずそばにいた。安息はトイレだけだった。

義父母も当然に僕に気を遣っていたので、徐々に疲れ、食事もコミュニケーションも淡白になっていった。はじめからそういう感じで良かったんです、というくらいに、食事が質素になった。

あの日々は辛かった。

同じタイミングで、僕は一生忘れられないことがある。
そのGWの日々、殆ど毎日、出産後に入院している妻がいる病院に、妻と長男に会いに行った。いつも長女は帰り際、妻と離れたくないからぐずり、泣き叫んでいた。何日目にか、そのまま妻の横で寝てしまった長女を抱え、車に乗せ、シートベルトを着け、チャイルドロックをして、車を発進させた。

しばらくすると、長女が起きて、「ここはどこ?お母さんは?」と訊いてきた。今は車の中で、一回家に戻るところだよ、というと、長女は鳴き叫び、「おろして!車からおろして!お母さんのところに帰る!」と、ダッシュボードを強く強く蹴り続けながら、僕に必死に訴えてくる。子育てを少し重ねた今ならば、僕はなだめたり、車を停めたり、コンビニによってアイスを食べたり、もう一度妻のところに戻ったり、色々な選択肢が考えられたと思うが、もうその時は僕も義父母の家での生活に疲れ果てていて、長女と二人きりでずっと二人でいるのも苦痛に感じていたので、そんなにお母さんのところに行きたいなら、今から車から降りて行ってこいよ!と言ってしまう。

これは全く余裕がない僕がした脅迫で、そんなことは無理だから諦めろ、という意味合いでいったはずだが、3歳の長女にはそれが脅しだなんてことは理解できず、シートベルトを外し、走る車のドアを開けて、外に出ようとした。

しかし、幸いにもチャイルドロックをかけていたから、ドアは開かず、長女はそのままぐずり続け、疲れたのか、またいつの間にか寝ていた。

幸いにも、というのは僕はその頃はちゃんとチャイルドロックを必ずする、ということがなかったからだ。多分2回に1回位はしなかったように思う。たまたま、チャイルドロックをしていた時に、このことが起きたというだけで、もしロックしていない、もう一つの2分の1が来ていれば、時速40キロの車から放り出され、長女は死んでいたはずだ。このことを思い出すたびに、ごめんね、本当に、と思う。もっとあの時に、できることがあったはずだ、と思う。今長女がいることは、ただの幸運でしかない。

そういえば、次女が生まれた日のことや、次女と妻が入院しているときの、長女と長男との3人での生活も良く覚えている。長女は幼稚園に通っていたので、僕は毎日お弁当を作って、送り迎えをした。お弁当が空っぽになって帰ってきたときは本当に嬉しかった。やったー!って思って、空っぽのお弁当箱の写真を撮って、妻にラインした。

日中、長女が幼稚園に行っている間は長男と散歩したり、出掛けたりした。妻と次女に会いに行ったけど、長女みたいにはぐずらずにいてくれた。休みの日は近くの大きな公園に行き、スワンボートに乗ったり、鳩に餌をやったりした。

子どもたちは大きくなった。少しずつ、ずっとべったりそばにいなくてはならない子育てが終わっていくのだろう。

今日は23時過ぎに家についた。僕の誕生日だった。炬燵のうえには、可愛らしい紙袋があって、それは長女からの誕生日プレゼントだと聞かされた。僕が好きそうなお菓子を選んだとのことで、チョコレートがけのいちごパイと、仕事で目がつかれていると心配してくれたのだろう、使い捨ての温感アイマスクだった。

僕は人から、できればプレゼントをもらいたくない。どういう反応をすればいいのか、判らない。何かを返さなくてはいけない気持ちになるし、いただいたものを気に入らなかった時に、どんなふうにその人にお礼を言えばいいのかも判らない。素直に言えない言葉は、とても苦手だ。

だから、正直に、そういう長女からのプレゼントだって戸惑う。先日も、「お父さんの誕生日近いね、何かプレゼントあげるね」というので、気持ちだけで十分に嬉しいから、お金は自分のために使いなよ、と言っていたのだった。

可愛らしい紙袋はわざわざ買ったものだった。そんな、そこまでしなくていいのに、と思った。チョコパイとアイマスクの他に、手紙が入っていた。

「厳しいところもあるけれど、お父さんが大好きです。これからも、色々と話をしようね。」と書かれていた。僕は、あの、お母さんと長男に会いに行った帰りの車の中で、とてつもなくひどいことをしたのに、と苦しくなる。こんな純粋な気持ちに、応えきれないかもしれない、とも思った。ただ、とてつもなく僕の体が、心が暖かくなった。僕はそのとき、殆ど泣いていて、そのままお風呂場に行った。

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