2月27日かつて無いほどのやる気のなさ

朝起きた瞬間から仕事に行きたくない。起き上がることも一苦労。ここまでひどいのは社会人になってから初めてのことだ。

通勤電車の中では、仕事の関係で老舗日本企業の再生までの道のりを取材した本を読んだ。途中まではそれなりに楽しんだが、途中から息苦しくなっていく。なんというか、仕事ができる人たちの頑張り自慢のようにしか見えず、とてもマッチョで、気持ち悪かった。二時まで毎日働いたとか、出向から転籍に切り替えたとか、職業冥利に尽きる大役とかそういう言葉がゴロゴロと並んでいる。

NewsPicksを見ていてもたまになるんだが、先導的な視座から、仕事に殉教するように、もしくは仕事を楽しまないと罪みたいなものとは何なのだろう。仕事こそが人生の居場所になるんだ、みたいなのはどうなんだろう。

使命という言葉を一時期良く考えていた。命は使うため/使われるためにあるのだ、と一時期考えていた。今はあまり考えなくなった。日々の生活で精一杯、そんな感じ。

本当はもっと夢中になって生きなければいけないのだろうとは思う。仕事や、音楽や、小説、自分が鑑賞するのではなく、発話する主体となっていることが必要なのだろうとは思う。でも、なかなかうまくいかない。

ミドルエイジのアイデンティティ・クライシス、という話はよく聞く。さて、自分はなんのために生きているのだろう、と改めて考え直すらしい。社会人生活も折り返し地点まできた。このままどう生きていくのだろう。そして、65歳で定年を迎えたあと、自分はどうやって生きるのだろう。

ライフプランとしては70歳まで働き、その後は適当に好きなことをして生きたいとは思っているが、しかし、好きなことがそれまでに見つかっているのだろうか、分からない。

たった一つの依拠する場所を、といったのはゴダールだっただろうか、とにかく依拠する場所を作らなければいけないのだろう、と思う。何年かに一回回ってくる、憂鬱な時期の到来だ。そんなときは、命を燃やせていない時だ、ということは周期的な気分の変遷の訪れのなかで経験してきたことだ。自分には筆舌すべきなにかなど、なにもない。自分には特徴など、何一つない、というように感じてしまう時期だ。

だからこそ、その老舗企業の復活の本を読んで、仕事に命を燃やしている人たちを見て、気持ち悪くなったのだろう。

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