3月13日

植本一子の本のなかで、突然の、一方的なパートナーとの別れが心に大きく、強く、深く傷を残したことでそれがトラウマとなり、パートナーが自分を捨てるのではないか、と不安に駆られる様が書かれていた。

幸い、今の妻が彼女だった頃から自分にはあまりそういった不安を抱くことはなかったのだけれど、ただ僕も妻の前には天地がひっくり返ったかのような失恋をしていて、それがきっかけでお酒を飲めるようになったくらいに辛く重大な事件だったことを本を読みながら思い出した。

大学一年生のときに、たまたま見学に行った文化部にその人はいて、今でも思い出せるのだが、その人を見た瞬間に電撃が体を駆け巡った。完全なる一目惚れで、それからどうやって仲良くなったのか、きっかけを覚えていないが、とにかく距離が縮まり、僕はその人と交際に至った。どう考えても、その人の外見や知識、ファッション、キャラクターに僕は見劣りしているように感じていて(どうしても、その人のそういう表層的な部分にひどく焦がれていた)、その人がいつも他の誰かに取られてしまうのではないかと心配だった。フランス映画に出てくる女性みたいに自由でわがままで、コケティッシュで美しくて可愛くて、いつも夢に出てきた。だから、他の男性と仲良さそうにしたり、遊びに出かけたりすると拗ねたり、いじけたりしてしまった。愛情というよりは、一方的な毒みたいな感情を投げつけているようだった、とふられてから、当時のことを思い返していた。

その人は語学留学に一年行くこととなり、僕は夏休みの1ヶ月間、その人のいる国に行き、共に過ごした。帰りの空港では、お互いに泣き、抱きしめあった。日本では絶対にしないであろう、公衆の面前で唇を交わしてもいた。ずっと一緒にいよう、と誓った。しかし、僕は帰国後の1ヶ月後位にふられた。好きな人ができたとのことだった。

僕はふられた前後のことはあまり覚えていない。覚えていられないほどに辛いことだったのだろう。ただ、それが今でも深い傷となっていて、自分の行動や思考の形相になったかというと、あまりそんなことはない気がする。

自分の行動を規定したことは何なのかを考えていると、あああれなのかなあ、ということに思い至る。

お互い別々の高校にいったのだが、中学の頃からずっと一緒にいた友人がいて、彼が色々と悩んでいる時期があった。僕らは良く川に行き、テトラポットの上で何もせず、ぼっーとしたり、どうでもないことを話したり、大切なことを話して過ごす時があった。僕もちょうど、高1の途中から高2くらいまで、色々とたくさんのことが一気に分からなくなった時期が来ていて、彼よりも先に悩みの中にいた時期があった。アイデンティティの問題について、考えるタイミングだった。

僕と毎日のように会っていた彼はそういう僕の悩みの話を聞くに連れて、同じように色々な命題について考えるようになったようだった。自分とはなんなんだろうか、なぜ生きているのだろう、死ぬということはどういうことなんだろう、そういう感じのこと。

彼は考えるというよりも悩んでいた。考えるための忍耐力も、考え方も、武器となる単語も、気分を変えられるようなものの見方も備えていないようだった。僕は彼の悩みを聞き、もしかしたら偉そうにアドバイスをしたのかもしれない。僕の友人関係は殆ど彼だけで築かれていたときもあって、心から、悩んでいる彼を心配した。その時思っていたことは、悩むことは僕のほうが得意なのだから、彼の悩みを僕が引き取れたらいいのに、ということだった。

その事象が好きとか嫌いとかではなくて、相手よりも自分のほうがその対処に向いていて、そうした方がその人が辛い目に合わなくてすむのではないか、それであれば代わりに自分がその対処にあたったほうがいい、というのが特に仕事において自分の行動原理にあるように思え、それはその友人との河原での日々でできあがったように思う。

仕事では体が勝手に動いてしまって、自分が進めたほうがうまく進むだろうという判断を体が勝手にして、人の仕事を補助したり、仕事が進みやすくなるまで舗装したり、時には代わってやることが増えてきている気がする。最近ではもとの手持ちの仕事に加えて、こういう体が勝手に動くことでどんどん仕事が増えていく。それでも、「この案件はこうした方がより良くなる」みたいな感触が手元でつかめるようにあると、どうしても無視ができない。

これは良くないことなのだ、忙しくなりすぎる、と思っているが、止めることもできないし、止まるのはもったいないとも思うし、恐らく自分は止まってしまってはいけないのだ。だが、スピードを緩める必要がある気がする。

就職氷河期だった僕は、てひどい圧迫面接を受ける。「君は人前には出たくないのに、リーダーシップがあるという、意味のわからない性格診断が出ているが、なんなんだいこれは?嘘をついているとしか思えない!」みたいなことを言われ、それは他に適切な人がいない場合にはリーダーの役回りをすることができる、ということです、全く矛盾したことではありません、それに表に出ることだけがリーダーの役割でも役割発揮の仕方でもないと思います、と少し怒りながら伝えた。帰り道、何て馬鹿な面接官なんだろうと思った。

当然にその会社は落ちた。その会社は後に大きな失態をし、経営が大きく傾いた。川原の友人とは、大学に入るタイミングも行った大学も異なったためか、全く会わなくなって、今では連絡も取っていない。

一度僕のなかで、懐かしい人に会おうキャンペーンというブームがあって、その川原の友人に会おうと思って昔の携帯電話を引っ張り出して連絡したが繋がらなかった。後日、何となく彼の名前をネットで検索してみると、勤め先企業の先輩紹介として写真と氏名入で出ていて、僕は思わず職場の昼休み中にその会社に電話して、彼と連絡を取らせてくれないかと、電話越しの女性にお願いした。「あいにく、外出しています」とのことで、あまり訝しがる様子も感じられなかったので、それでは僕の電話番号をお伝え下さい、とお願いする。

すると後日smsが来て、何回かやり取りをするが、恐らく川原の彼は僕が宗教とか壺を売られたりとかすると思ったのだろうか、こちらからのメールに返信することなく、会話が途切れ、それ以降は何も起きていない。

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