5月3日

今日は長男の空手の大会のため、朝から送迎。今日は県大会で、長男の実力は一回戦に勝てるかどうか、という感じなのだが、今日は健闘むなしく、一ポイント差で負けてしまった。

周りを見渡すと、自分の子供にとても熱心な親が多い。まさしく一体となって、空手に取り組んでいる。僕自身はそんな感じはまったくなく、未だにルールもよく分かっていない。もっとのめり込んだ方が良いのかなあとずっと思っているけど、結局そうはなれていない。

僕自身も親から凄い熱量を持たれたことはなかったような気がする。小学校のときはソフトボールの地域クラブに入ったけど、特に親は応援も来なかった。中学校のときは、父親は確か新人戦には見に来たような気もするけど、そんな程度。日常的に、自分の習い事や部活についてアドバイスと言うか、介入されたことはなかった。それくらいで良かったし、何より僕は、やったこともなかったり、わからない人から勝手にコメントされたりアドバイスされるのはあまり好きではないので、それくらいの、傍観の立ち位置が好ましいとすら思っているふしがある。

友達親子、みたいなが子どもにとっては良いのかなあ、とうだうだといつも悩む。一人っ子の家庭を見ていると、そういう感じの家が結構あって、家父長制の最たる家で育った僕は「えっ、父親とそんな距離感で接していいのか?」とか不安になるのだけれど、同じ趣味を親子でやっていたり、子供から少しふざけてバカにされているくらいが、きっと上手くいくのだろうなあ、とか思う。しかし、それはなかなか、簡単には僕にはできそうもない。

14時くらいに家に帰ってきて、その後、家の前で子ども遊んだりして、せっかくのGWなので、外食に行く。ファミリーレストランで、大したものを頼んでいなくとも、家族5人で行けば平然と1万円近い値段になっていく。

子どもを持つことにメリットが無ければ、子どもを持つ選択などしなくなるのは、本当に当たり前のことだと思う。若い人たちから、「いやー子どもなんて別にほしくないです」と言われたら、そうだよね、と素直に言ってしまいそうだ。

結婚して、子どもを持つ、と言うことは僕にとっては「自然で」「当たり前で」「それ以外の選択肢はない」ものだった。二人目までは、特に何も考えることもなく、ごく自然に当然に、3人目については、妻が三人兄弟だったこともあり、「もう一人いたほうが、きっといいんだろうな」くらいの感じだった。

子どもがいない同世代の人達と話したり、見たりしていると、なんて自由なんだろうと思う。お金も時間も仕事も、自分の匙加減で動かせる。

最終的には、僕は今の人生と、子どもがいない人生、どちらかが選べるとしたら、迷った末に今の人生を選ぶと思うが、「迷わないで選択」なんてことはない。必ず迷うだろう。

子どもがいることにメリットや得がなければいけない。メリットや得がなければ子どもはいなくても良いフェーズに今あるんだ、と「子持ち様報道」を見ていても思う。

最近、取引先の男性の方から育児休暇を2回(パパ育休プラス)取るとの連絡を受けた。後日、その会社の別の方から、「個人としては応援したいんですが、うちみたいな中小だと1人抜けられるだけでもダメージが大きくて、結構しんどいんです」とのことだった。

家にある書類を整理していると、市の男女共同参画委員会の議事録が見つかった。それに目を通していると、理念的な意見交換がたくさんされていて、「性別役割意識をなくしていくのが我々の仕事だ」との委員の発言にあった。市の委員会でそこまでいけるのか、気概は大切だが、それはどのようなルートを辿れば実現されるのか、考えながらそれを読んでいた。その時の委員会には、企業経営者の方(女性)が欠席となっていて、その方は初回の委員会で「理念と現場の実態は別だ」という趣旨の話をしていて、僕もそれは改めて大切な発言だと受け止めていた。つまり、理念だけでは何も変えられない。

子どもが生まれたら、強制的に親は育児休業と時短勤務になる、とかにすればいいのに、と思う。

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