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5月11日金沢に行く

今日でやっと長期出張が終わった。
最後の最後までバスに揺られ、気持ち悪くなった。あと少しで吐いてしまいそうになるが、なんとか頑張って耐える。

11時くらいに出張の解散地である金沢に着く。長期出張をともにした皆様とお別れし、コインロッカーに大量の荷物を預け、ポシェット一つを見に着けて、金沢の街を歩くことに。

目的は、鈴木大拙館に行くことくらいしか決めていなくて、あとはとにかく散歩することにしていた。ずっと誰かと一緒にいる生活をしていたので、まずは1人になりたかった。

そう言えば、昨日睡眠導入剤を飲まずに寝てしまった結果、今日は3時くらいからずっと起きていた。でも、雑魚寝の部屋だから音も立てられないし、明かりも点けられないしで、とにかく音楽を聞いて過ごしていた。

そんななかで、なぜか僕が幼少のころに
、父が仕事の外出先から家に直接、早い時間に帰ってきて、家の電話から会社に電話を入れて「今日は直接家に帰ります」みたいなことを言っていたのを思い出した。

僕はそれが、ずるいことだとわかっていたので、面白がって、えーどこに電話してんの?とかわざわざ言っていて、母が「しっー!静かにして!」とか言っていた。平和な時代だ。父もそうやってずるもしながら働いていたんだなあと思い出していた。父はほとんど平日は夕飯を家で食べることはなかった。と言ったら今の僕もそうなんだよな、平日に家でご飯を食べるなんてことは殆どない。

とにかく、適当に歩いた。大まかな方向だけ確認して、まずはひがし茶屋街に行くことだけ決めて、てくてく歩く。日差しが暑い、強い。


レコードジャングル

その道程の途中で、レコードジャングルを見つける。ここは確か、20代の時に来たことのあるお店だ。もう20年以上も経つのに、まだ経営されていた。中もみたけど、結構に凄まじい品揃えで、でもちょっと割高だったから買わなかったけど、この地域の音楽シーンを支えている名店なんだろうなあ、と感じた。

ひがし茶屋街

ひがし茶屋街に来たのは20年ぶりだろうか。昔より圧倒的に観光地化していて、特に外国人観光客が目立っていた。前に来たときはもっと厳かで、済んでいて、気品があった気がしたんだけど、今はそこに商業の匂いがしっかりとした。歴史と商売の匂いは、しかし品があり、しかもそこでは白檀の実際の匂いが、5月の暑い陽気に揉まれて、爽やかに流れていた。

茶屋街を抜けていくと、なんとも急な坂があって驚く。

金沢を歩いていると思うのが、どこにいっても歴史的な建造物がある、ということで、街全体に「結」みたいな強さと気品を感じる。ただ路地裏にいるのに、何かを感じる。ただ川沿いを歩いているだけで、何かと遭ったような気がする。そういう気分になる。そこには重みが、しかしそれは重さではなくて、重いとまでは感じないけれども、消沈ということではないが、安寧とした、ロウなテンションを纏う雰囲気がそこにもここにもどこにでもある。

そしてなによりも坂ばかりだ。この街でジョギングしていたら相当に健脚になるのだろうと思う。トレイルランみたいなことを街中でたくさんできると思う。今度きたら、街ランをしてみたいと強く思った。

こんな高台からの景色がすぐ見られる

昼は、市役所近くの金沢カレーを食べる。確かここは何年か前に来たときも食べた気がする。本当は蕎麦でも食べようかと思ったんだけど、なかなか美味しそうなお店が見つけられず、早くて美味しいカレーにした。

その後、カレー屋の近くにある21世紀美術館に行く。昔は有料だったと思うのだが、今は無料なのだろうか、とにかく今日は無料だった。その分、展示はあまり楽しくなかった。
外で13時からライブもやっていて、少し見たけど、その場で音を加工して音を重ねていく、というのは自分にとっては昔結構見ていたもので、予測もついてしまうし、面白いんだけど、予定調和というか、既視感も強くなってしまって、途中で申し訳ないが席を立った。ハーバートみたいな、コラージュの即興でやるダンスミュージックならば聞きたかったなあ。

その後、目的であった鈴木大拙館へ行く。
何年か前、多分10年位前なんだろうか、初めてその時にここを訪れたのだが、もうなんというか、ここは自分の場所というか、この先何回も訪れる場所だろうな、という直感がしていて、とにかくここが僕にとっては大切な、必要な、戻るべき場所、と思い込んでいる。


ここは、展示を抜けた先にある。「水鏡の庭」という、ただひたすらに水面を見る場所。
ただぼーっと過ごす。たまに、ぼこぼこぼこっと水面の下から隆起した水か空気が流れ、それによって変化が生まれ、水面には水紋が広がる。もしくは風に吹かれ、波が生まれ、もしくは小木や大樹の葉枝が落ちたり、流れたりして、水面が変化をする。それを見ながら、そこに意図を勝手に感じたり、何も感じなかったり、ただ自分がそこにいながら、自分の存在がなくなり、敷衍したり、もしくは自分だけになったりしながら時間を過ごす。

その後、香林坊から片町の川沿いを歩き、金沢駅まで歩いた。新幹線に乗り、1週間ぶりに我が家に帰った。家族みんなが元気そうで良かった。長女も長男も次女も、僕に色々と報告をしてくれた。

僕の出張はこうして、無事に家に帰ってきたことで終えることができた。

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