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2月23日親友たちとモツ鍋を食べる

23日は本当だったら取引先の人とキッドフレシノのフリーライブを見に行くはずだった。
しかし、不可解なことに、てっきり僕はその取引先の人が2枚分でチケットを取ってくれていると思っていたのだが、どうやら自分の分しか無かったようで、それじゃあだめじゃん、ということになった。いやあ、だって、

僕「いやーチケット外れちゃいました」
その人「当選しちゃいましたが、僕さん行けないなら行くの辞めます〜」

というやり取りがされていたのだから、てっきる2枚で取れていると思っていた。

そんなことが22日に発覚。妻には23日出掛けることにお許しをいただいていたので、こういう休日に出掛けられるチケットは年にそうそうないので、親友たちに「23日空いてる?」と聞くと、OKとのことだったので、17時池袋集合ということになった。

23日は朝から家事をしたり、買い物をして、14時からJリーグ開幕戦を見る。今年のレッズはどうなることやら。ハイプレスの広島に屈してしまった。今年は子どもたちとサッカーもに行きたい。

17時に池袋のモツ鍋屋に集合。うまい。楽しい。寒いからか、お客がどんどこ入ってくる。

親友たちに、昨日同僚のおっさんに怒ってしまったことを話す。そのおっさんは、とにかくPC関係のことは僕が何でも知っていると思っていて、自分がPC関係のことで分からなかったり知らないことが出てくると、直ぐに僕に聞いてくる人で、昨日もそんなことがあり、しかもそれは僕の管轄の仕事ではなくて自分の仕事なのにも関わらず、その人はPC関係だから僕がやるものだと思っていた様子で、「それは僕さんがやってくれると思っています」とかいってきたので、思わず怒ってしまった。「そうやって得意だからってその人の担当じゃないのに頼ろうとするのは、時間を搾取しているんだよ」みたいなことを言ってしまう。事実そうだし、そういうことがこのおっさんに関わらず多い。「すぐやってくれるから」「聞けば直ぐ答えてくれるから」みたいな感じで、雑務が集積しやすい。

人に期待するってどういうことなんだろう、なぜ人に期待した際にイライラしてしまうことが起きるのだろう。そんなことを話す。
親友のうちの一人は自分で会社をやっていて、部下のパフォーマンスがあまり良くなく、最近イライラするとのこと。
恐らく、僕の場合には2つあって、自分と同じ様な希望水準・願望水準を他人に押し付けない、自分と同一視しない(相手を自分だと思われない)、それが人に対しての期待のあり方だと、子育てを通じて得たことを話した。

その後、カラオケに行く。新政を持参してきたので、持ち込めるところを探す。その途中の路上で、急に話しかけられ、振り向くと若い男性から「手袋落としましたよ」と、恐らく自分のものとおぼしき片方の黒い手袋を手渡される。マッシュルームカットのその男の子の後ろには、恐らく彼女だろうが、とてもかわいい笑顔の女の子がいた。お礼を言った僕の心はとてつもなく暖かくなる。こうして、僕は生きていくことができるのだなあ、と当然に酔ってはいただろうけど、なんだか人生の核心に触れたような気がした。他愛もない、他意のない、些細な優しさに支えられるのだ。

カラオケでは、「今まで一回も歌ったことない曲縛り」を繰り広げる。親友が歌った安全地帯の「悲しみにさよなら」がとてつもなくよかった。PVもキラキラしていて、最高だった。

その後、立ち飲み屋で都合3時間位飲んでいた。なにか、大切な話をした気もするし、何も話をしていないのかもしれない。ぼんやりとしか覚えていない。人の弱さについての話はたくさんした気がする。

最近、甲府に転勤してしまった友人がいるので、3月の平日に会いに行こう、ということで話がまとまる。少しずつ、子育て以外のことができるようになってきている。

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