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1月18日 さよなら、コンプレックス

今日は午前中は、撮影の立ち会い。
事前調整があまりうまくいっていなかったのをその場で知り、半分傍観者の立場の自分は、まるで立場を無視しているように、旅行者のように感想を言って、何とか少しだけ軌道修正を図る。自分がいないとその場が成立しない、とかは思わないようにしているし,あまり思わないのだけど、いて良かったなあと思った。

その後、事務所に戻り、昨日一昨日に引き続き、局員みんなで会議室に缶詰になって資料作成。人と議論をしていると、えっそんなことに引っ掛かるの?とか、あっそんなことが読み取れないのか!、みたいなばかりにぶち当たる。自分が分かるから、当然にみんな分かるだろ、みたいのは全く持って捨てなくてはいけない思い込みだと改めて思う。

帰りの電車に揺られながらニュースを見ていると、CHAIが解散する、ということを知り、親友にLINEする。

一時期、CHAIばかり聞いている時期があった。恋に落ちたみたいに、自分の耳がそれ以外の音楽を聞けなくなったみたいに。世界のすべてがsayonara complexのpvみたいに楽しく見えた。

この曲の、新しい自分になろう、という感じとか、自分は今のままでいいんだよ、という感じは本当にいつ聞いてもグッと来る。

酒のんで聞いたら間違いなくいつでも涙ぐむほどに。どこかで、自分の娘もこうして生きていくのかな、と思う。今思い返せば、この曲はルッキズムについて考えたり、ジェンダーについて考えるきっかけになっているのかもしれない。さよなら、コンプレックス。でもそう言っているときはまだ、さよならしていないのだろうけど、でも、しようという意思の気高さや尊さを、僕はいつもこの曲を聞くと感じる。この曲を聞くといつも自分が新鮮になる気がする。

正直、ファースト以降のCHAIは自信が満ち溢れていて苦手になってしまったんだけれども。あえてするパロディのファンキーさみたいなものが失われて、自分たちだけが楽しいというか、内輪ネタに見えてしまって。

帰りの電車では岸政彦のにがにが日記をダラダラ読みながら帰る。

家に帰ると妻がスイカゲームをやっていた。今日は大変な日で、息子が遊びに行こうとして、家の鍵を施錠しようとしたら鍵が曲がっていて鍵穴に入らず、仕事先の妻に電話して妻が急いで帰ってきて、その後は長女をトランペットのレッスンに送り迎えに行って、次女は21時台まで宿題をせずにダラダラしていて、思わず怒鳴ってしまった、とのことだった。ごめん、としか言えない。自分が早く仕事から帰ってきたり、在宅勤務ができれば、こういう子供の対応の少しでもできるのだけど、今のところ、現実的には難しい。
じゃあ、転職するか、というと、それもまた難しい気もする。年収が下がるだろうし、正直色々な人に世話になって今の職場で働いてきたので、その人達に不義理してまで辞める判断ができるのかどうか。いつも悩んでいる。

妻とダラダラと24時過ぎに、録画していた、新しい学校のリーダーズのテレビ朝日の番組を見る。この人達は4人が健やかに仲が良くて、見ていてホッとする。

その後、妻がvaundyをYouTubeで聞き始める。vaundyなんて聴くんだ!と思って、どこが好きなの?と聞いてみると、わざわざ洋楽を聴かなくていいから、とのことだった。

わざわざ洋楽を聴かなくても良い、というのは凄い褒め言葉のような気がする。

その後僕は25時を回っているのに、kohhの俺みたいになるな、を笑いながら聞きながら洗い物をしていた。

そう言えば、親友としていたLINEのやり取りが楽しかったので、忘れないように貼っておく。

【僕】
この本で、そういうことが絶対に書かれていたはずなのに、その本を読み直してもその文章が見当たらない現象ってなんて名前なんだろうか。デカルトの方法序説に、「旅に出過ぎると、自分がどこにいるのか分からなくなるから、あまり出ないほうがいい」という様な文章があって、それは今でも結構好きな文章なのだが、実際には方法序説にその文章を見つけられていない。ナウシカにも、「人生の価値はその苦悩の深さによる」みたいなことが書かれていたと思うんだけど、改めて読んでも書いてなかったと思う。

【親友】
原石的な文章は書かれているんだけど思考を進めて磨くと原石とはかけ離れちゃってもとの文章が見つからなくなる現象

【僕】
うーん、確かに見たのよね、見たから覚えている、しかし、ない。樹影譚、というのかもな。


じゃないか?


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