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日記 1月25日(火)

昨日寝た時間  :24時45分
今日起きた時間 : 7時30分

朝、長女が「今日、ごみ出しの日だよね、出してくる」とごみ出しにおのずから行ってくれた。嬉しい朝のスタートとなった。

朝起きて、お風呂を洗って、子供たちの話をしたり、身支度を整えて、いつか長男の部屋となる場所に向かい、在宅勤務を開始する。

コロナが落ち着いたら、在宅勤務はどうなるのだろうか。今、僕の職場では在宅勤務を恒久的に制度化するか、その検討材料として職場アンケートをしている。それを見ると、概ね、みんな制度化して欲しいという声になっていて、何とかその方向性でまとまって欲しいと思っている。週1日だけでも良いので。

今日は義父母がきて、食材などを差し入れてくれた。有難い。妻と義父母の関係はとても良好に僕には見える。妻は義父母にちゃんと甘えているし、それを義父母は「仕方なくやっている」というのではなくて、「したいから娘の甘えに応えている」という感じに見える。そして、フランクに感謝を妻は伝えられている。

僕にはそれができない。甘えることがうまくできない。妻に対してだって、不意に優しくされると、あまり優しくしないで欲しいと思う。ちゃんとその優しさを返せないから、できればあまり優しくしないで欲しいと反射的に思ってしまう。長男がいきなり肩を今日揉んできて、それは長男は純粋に僕への労いや、むしろそんな感情すらなく反射的にやっているのだとしても、僕は即座にそんなことをさせてしまって悪いと思う。

僕はうまく甘えられないと思う。そして、それは意固地に自己解決によって解決しようという姿勢にも直接的に繋がっていると思う。それは何なのかは分からないけど、父親にうまく今でも甘えられないし、というか甘えたことなんて殆どないと思うし、母親にもそんなに甘えたことはないのかもしれない(いや、きっとあると両親は言うのだろうが、あまり覚えていない)。甘えるとは何か、依存する、ということなのか、認めて欲しい、ということなのか、単純に何か欲しいものを欲しいと言った時に買ってくれることなのか。そういったことをひっくるめて、よっかかった時に何も言わずに、よっかかることを許してくれることのような気がする。僕は、そうであれば、自分で立っている方が楽だと思ってしまう。

でも、僕はこれは自分でも良くないと思っている。人に対しても厳しくなるし、逆に自分で立つために、自分が立つ水準が甘くなるときがある。だから、僕は子供達には「ちゃんと甘えていいんだよ」「俺(僕のこと)は、うまく甘えることができなくて、苦労しているから」と言っている。でも妻が言うには、僕にはそんな雰囲気はなくて、甘えさせないし堅苦しい雰囲気を醸し出しているらしい。なかなかに難しい。

今日もこんなことがあった。職場のAさんとBさんから、とある作業のやり方が分からないので教えて欲しい、という連絡だった。僕はそれをやったことがなかったけど、経験側から簡単にできるだろうと想定できて、実際に少し手を動かしてみたところ、簡単にできることが分かった。むしろ、なぜそのやり方が分からないのか、それが分からない、という内容だった。だから、僕は作業の仕方を知りたかったのか、それとも「教えて」と言いながら、僕にやって欲しい、という期待があったのか、正直判然としなかったが、作業の仕方の説明をするのと、作業を完成させるのでは同じくらいの時間がかかる感じ(30分くらい)だったので、めんどくさくて、自分でやった。でも、そうすると、HELP(根こそぎやってしまう)ことになってしまい、SUPPORT(その人たちができるように支援する)とは異なることから、今後も2人が同様の作業をやる場合には、また僕は恐らくHELPかSUPPOTかで悩むことになる。これは、SUPPORTを装ってのHELPだったのではないか、甘えだったんじゃないか、と考えてしまう自分があまり好きではない。

あと2日でコロナウイルスの隔離期間が明ける。

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