2月28日朝の電車のなかでハーゲンダッツを食べる人を見る

朝の通勤電車の中でアイスを食べる女性を見かける。バックにはハーゲンダッツの空箱が入っていたから、恐らく食べていたのはハーゲンダッツ。なぜ、冬の朝から電車のなかでアイスを食べるのか。どうしても食べたかったってことなのか。

出生率が過去最低を記録したとのこと。
それに対して、少子化対策としての国の政策が間違っている、との識者やヤフーコメントが多く見られた。その通りだと思う。日本では結婚しなければ子供を持つことは基本無いため、結婚の数を増やさない限りは少子化対策には繋がらない。山田昌弘氏が言っていたように、日本は過去から欧米の少子化対策を真似たために、日本人に合った方策を取ってこなかったことが、少子化対策の失敗につながってきたのだと思う。

ただ、個人的には多子世帯の大学授業料や入学の際の補助というのは非常にありがたい。妻と僕の人生はこのことによって幾らかは変わるのだと思う。それくらいにインパクトのある金額の補助を得られることができることになる。

子育てとは、日本においては間違いなく子育て罰だ。子どもがいるメリットなど、日本では得られない。先日、未婚の女性と話していて「自分が歳を取ったときに誰も面倒見てくれる人がいないから、そのために今からでも結婚して、子どもを作るというのは、高齢出産になるけど可能性としてはあり得る」というのを言っていて、いやいや子どもがいても、今や子どもに自分の面倒など見させるわけにはいかない時代だよ、と思ったのだが、とにかく子どもがいて、年がら年中よかったと思える人がいたら、いつでも毎日毎分毎秒、可愛くてしかたない、という人がいたら、それは素晴らしい才能だ。羨ましくて仕方ない。

僕は確かに子どもが可愛いけれども、それよりも自分の生活時間や金銭的な制限、行動制限や食べられるものの制限、そういった負担のほうをどうしても強く感じてしまう。子どもができると、自分がしたいことができなくなり、そういしているうちに我慢に慣れて、はて自分が欲していたこととはなにや、と思うようになる。

僕は、結婚して子どもがいることが「普通」や「当然」と思って生きてきていて、事実そうなったわけだけど、それが「普通」や「当然」ではないのだと思っていたら、今の自分のように結婚して子どもが3人いる人生を生きていなかったのだろうと思う。

子育てには当事者意識が必要だと思うし、子育ての当事者になっていない人たちから言われる言葉はあまり信用できないというのが正直なところだ。

GREAT3のメタルランチボックスを久々に聞いている。自分の音楽に対する語彙が増えた分、改めて聞いてみると色々な要素が織り込まれていることを分かるようになった。

今日、妻が所要があり、夜に外出しなくてはならなかったため、僕は定時少し過ぎに職場を出て家に帰った。家に帰っても子どもたちはただダラダラとテレビを見ていただけで、夕飯の支度もお風呂掃除も何もしておらず、
少し閉口してしまった。次女はひきわり納豆が食べたいのに無かったことで大泣きをし、めんどくさいけどスーパーまでひき割り納豆を買いに行く始末。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?