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最大公約数理論ー陰キャを救う魔法の理論(2023年3月13日追記)

契機


 私は基本的に友人と遊ぶときは、二人で遊ぶことが好きです。
 コミュニケーションが格別苦手なわけではないのですが、どうにも大人数だと楽しむことが難しいのです。
 飲み会でいえば、ある程度親密度を築いてきた友人たちが十人も集まると、もうどうしようもありません。その場に立ち尽くし、空気感に圧倒されるだけになってしまうのです。
 しかし、同じ飲み会といえども、全員初対面の飲み会であれば私は比較的楽しむことができました。
 大人数であることに相違はないのに、どうしてこのような差異があるのか気になり、その理由について自分なりに検討することにしました。

最大公約数理論とは

 タイトルにある最大公約数理論とは私が考えた、大人数が苦手と感じてしまう理由について検討した結果出た現在時点での結論です。 
 人にはそれぞれ持ちネタがあると思います。スポーツに関心がある人もいれば、時事問題に関心のある人もいます。小説に関心のある人もいれば学問に関心のある人もいます。
 人数が少なければその分共通の話題を得やすくなります。
 人を数字で例えるとして、居酒屋に72さんと36さんがいます。彼ら二人の最大公約数(共通の話題)は36になり、話が爆発的に盛り上がりました。
 72さんと36さんに加えて、居酒屋に遅刻してきた45さんも加わったら、最大公約数は9になり、先ほどよりも話が膨らまなくなってきました。
 そこからさらに仲間が集まってくると、いよいよ収拾がつかなくなります。
 仮に72さんと36さんたちの集団の集まりを大学生の飲み会とするのなら、大人数で集まった場合の最大公約数は大学生という共通項になります。
 その結果、話はバイト、サークル、色恋沙汰、ギャンブルにヤニという着地点に話題は落ち着きます。
 このように、人が多くなればなるほど話の内容が狭まるという傾向を示したものが「最大公約数理論」なのです。

陽キャの皆さん怒らないで

 もちろん、飲み会は会話の内容にのみ執着する空間ではないことは理解しています。その場で作られる空気感こそが楽しみを見出す先なのでしょう。
 ただ、私自身としては、ある程度心を開いた人であれば、その人の内面をもっと知りたいと思うので、最低限度は実のある話をしたいと思います。
 冒頭で全員初対面の方での飲み会は苦手ではないという話をしましたが、交友関係を築く上での、導入の段階としては中身の有無はさして重要ではないと感じるからです。
 その人の纏う空気感、周りの人たちへの気遣い、どんな笑顔をすることができるのか、そのようなある意味で内容の関係のない、その意味での非言語的要素に注目をするからです。

まとめ

 飲み会を楽しむ人も、私みたいに毒づく人も両方いると思います。
 両者に善悪はなく、その違いは会話の内容の部分に焦点を置くのか、それともその場の雰囲気や、発声して楽しい気分になる(カラオケみたいな)点に焦点を置くのか、その価値判断の違いが両者の違いを分かつのだと思います。
 飲み会が苦手な人は是非この「最大公約数理論」という名の聖剣を振りかざして、自身の正当性を証明してください。
 陽キャの眩しすぎる、あまりにも眩しすぎる皆さんはこの記事を読んで是非、世の中の陰キャはこのようなことを考えて、或いは内在的に感じているのだなということを理解してあげてください。
 陰キャと陽キャの併存できる世界を夢見ています。
 

 一応の完結をここでは付けましたが、この後は発展的なコミュニケーションについて考えていきたいと思います。
 もし上記の文章を良いと思ってくれた方がいらっしゃいましたら、ぜひ続きも読んでみてください!

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