祖父

祖父が亡くなった。つい昨日水曜日、葬式が終わった。祖父について印象深い思い出みたいなものはない。それは祖父と疎遠だったという訳ではなく(むしろ私の家は親戚づきあいが良好で、かくいう私も親戚から有形無形の助けを受けてきたことにより社会の端に引っかかっていると言ってもいい)、単に私が忘れっぽいというか思い出をとどめておけないというかそういう性質の人間だからだ(だから今回こうして文章を残しておくことにしたわけだ)。それは少し寂しいし悲しい。ただ少なくとも私は祖父に対して悪い印象はない。お酒が好きで美味しいものが好きで私が生まれる前にはタバコ吸っていて昔はたくさん淡水魚とか飼っていたこともあるようだった。大学卒業時に教授と喧嘩したことにより推薦を受けられなかったことでずいぶんと就職に苦労しただとか現役時代に絶対に合格すると言われていたのに大学に落ちて浪人したとかそういう思い出話みたいなことは覚えている。総括すると別に好々爺ではなくむしろ気難しいようなタイプであったような気がする。ただまあ孫である私には比較的甘かったというか理不尽に怒られたことはなかったと思う。というか明確に怒られた記憶がない。私とってよい祖父であったとまで断言すれば美化になってしまうかもしれないが悪い祖父ではなかったと言うのは少し物足りない気がする。そんなところだ。

祖父が亡くなった。ずいぶんと前から痴呆が進み、施設に入居していたので、会いに行ってはいたが、子どもの頃と比べるとここ何年かは疎遠になっていたともいえる。というか会っても私が誰か理解できていなかったのでどうしようもないともいえる。祖父がどんどん人間として衰えていくことに私は悲しみを感じていたが、まあそれは母親ほどではなかっただろう。そして今月頭あたりにいよいよ危ないという話を聞いた時、ああ、まあそうだよな仕方ないよな。と正直なところ思ったし、特段悲しいとは思わなかった。まあそうだよなという感じだ。ほんと。私は冷血漢だと思っているし、実際感情に左右されることが基本的に嫌いだし、論理性合理性が好きだし、他人とか理解に苦しむタイプの人間で、別に死んでもいいけど生きているから死なないだけであって死ぬなら死ぬで仕方ないがないとか実際に口にして言える人間なので、祖父の死が近づいていることを知っても悲しいとは思わなかった。ただ気分が重くなった。もう少し会っておけばよかったかなとは思った。私を構成してきた一部が永遠に喪失しそうになっているのだなとは考えた。

祖父が亡くなった時、私は労働に従事していて、容体が悪化したから病院に来てくれというLINEと亡くなったことを知らせるLINEとは10分も空いてなかったので、私が即座にLINEを見て病院に駆けつけたとしても物理的に死に目に会うことはできなかっただろう。そのことには少しほっとしている自分がいる。病院について、祖父の死に顔は苦悶の表情とかはなかったけれど綺麗な顔ではないなと思った。涙目の母や叔母を見るとなんとなく泣きたくなった。むなしかった。私は泣かなかった。

葬式は命日から二日後に、親族だけで行った。いわゆる家族葬というものらしく、私なんかは職場からの花や香典を断ることになった。式場には遺影の他にも祖父の写真が飾られていてさっそく母は泣きそうになっていた。弟が遺影用の写真を発掘するために色々渡していたデータから、葬儀会社の人が現像してくれていたのだ。健在だった祖父いて、故人を偲ぶにはありがたいことだったと思う。坊さんが来て念仏を唱えたり焼香をあげたりするのは正直だるかったし眠かった。というか私は別に特段仏教を信仰しているわけじゃないし(いちおう空飛ぶスパゲッティモンスター教の信徒を自称している。面白いので)、念仏の意味はさっぱりわからんし、焼香をあげる手順とかようわからんからだ。その後、準備を挟んでから祖父の遺体のあるお棺に花を入れる段になった。小学生の従妹は折り紙で作った金魚を入れた(祖父は金魚を飼っていて、今でも庭で泳いでいる)。皆、花を入れた。祖母や母、叔母たちが泣き出した。私もこれで終わりだと思った。弟ですら涙ぐんでいた。私は祖母が使うステッキを預かっていた(祖母は車椅子に座っていた)。私はステッキに力をこめた。腹筋に力を入れて背筋をのばした。それでも泣きそうになったので上を向いた。それでも少し泣いてしまったと思う。私は自分がこのようになるとはと思った。そして私まで泣いてしまってはいけないだろうと思った。しかし些か難しいところではあった。私はハンカチを出さずに済む程度には泣いた。私は私が祖父との別れに涙したのか涙するような場面であるからつられて泣いたのかわからなかった。それから霊柩車のあとをついて火葬場に行き、火葬する前の最後のお別れとなった。花をいれてお棺を閉じるときよりも深い喪失感だった。祖母を筆頭に再度泣いた。私はお棺に花を入れる際と同じような行動をとった。お棺が閉じられたとき、父が悲しそうな表情を一瞬作った。父は私が見えていた限りでは泣いておらず葬儀場や火葬場の方にきびきびと礼儀正しくお礼を述べるなどして葬儀を円滑に進めるため努力していたが父は悲しそうな顔をした。私はそれが印象に残った。誰かが果たすべきことを父がしていると思った。待機室で気が抜けたように火葬が終わるのを待った。あたたかいお茶、あられ、小さな四角いケーキ、チータラがあった。めいめいそれらを食べた。その後、係に呼ばれて遺骨を骨壺に入れることになった。私は唐辺葉介の死体泥棒にあるラストシーンを思い出した。私は叔父(叔母の旦那)と一緒に箸で大きめの骨をつまみ、骨壺に入れた。箸は震えなかった。それから係が綺麗に祖父の骨を粉まで骨壺に入れ、頭蓋骨あたりの骨の説明をして骨壺を閉めた。そして私達は葬儀場に戻り、食事をとり、祖母の家に戻った。一時間ほどすると葬儀場の担当者が骨壺を備えるための設備を至れり尽くせりな感じで組み立てて飾ってくれた。私はすぐに来ると思って待っているうちにのどがかわいて頭が痛くなった。写真の件と言い、葬儀会社の担当者はずいぶんと気の利く方で、両親らはそれを褒めて感謝していた。私は親族の葬式に最初から参加するのは父方の祖父以来、小学生以来だったので、基準がわからなかったが、気が利くのはそうだろうと感じた。私がやれと言われてもできないだろうと思った。そうして葬儀が終わった。皆、とても疲れた。私は久しぶりに感情を動かしたなと思った。私は感情を動かしたくなんかなかった。だけど動いてしまった。頭が痛かった。そのことを言うと熱中症なんじゃないかと言われた。そうかもしれないと思った。

翌日、私は平常通りに職場に行き、仕事をした。私は、食欲をなくしたり何も手につかなくなるべきかもしれなかったが、そんなことにはならなかった。私は祖父が死んだ当日もプリンセスコネクトというスマホゲームをした。プリンセスコネクトをしている間は何も他のことを考えたり思ったり感じたりしなくて済むのでちょうどよかった。何にちょうどよかったのだろうかというと上手く説明できないが強いて言えば見て見ぬふりという感じだった。翌日は西野というライトノベルの5巻を読み終えた。面白かった。私は祖父が亡くなってもプリンセスコネクトができたし、ライトノベルを読んで面白いと感じることができた。あとは祖父が亡くなった日、私は母の作りかけの夕食を作り、弟と駆けつけた従兄弟と共に食べた。まあまあ美味しかった。翌日の夕食も大丈夫だった。私はいちご同盟だなと思った。私はTwitterを見た。けれど何をつぶやけばいいのかわからなかった。今もわからなかった。カクヨムに連載中の書きかけの小説はどうしようかと思った。私は2話と3話を書き終えていたのでいつでも更新することができた。けれど私はする気が起きなかったし実際しなかった。祖母は泣いていた。祖母は足腰が弱っており祖父が亡くなるまで祖父のいる施設や病院に行くことはなかったが、最後に会うことができてよかったと皆が言っていて、私も同感だった。私は自分もそろそろ結婚すべきなのだろうし、結婚してもいいかなと思った。別にいま交際相手がいるわけでもないしあてがあるわけでもないがなんとなくそう思った。祖父の葬儀と私の結婚は明確な線がひかれているわけではないので、そう思う自分が少し不思議でもあったが、家族の紐帯に対して感傷的になっているのだろうとも思った。私は、今日、祖父が亡くなってから初めてデスクトップパソコンを起動させ、この文章を書いた。私は自分が祖父の死を悲しんでいるのかわからなかったが、悲しんでいるのだろうと思った。そしてこの一文を打つ際に、私は祖父の死を悼んでいるのだと気づき、その言葉は悲しむよりもしっくりとくるように感じた。

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