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大学時代に出会ったある女の子のはなし

きょうは、村上春樹の小説の登場人物のように規則正しく1日を過ごした。
朝から洗濯機を廻して、必要なものは手洗いし、時間をかけてごはんを作って食べる。3月中旬なのに冷たい雨が降っていて(午後には雪になった)、出かける気力はすでに消滅し、大きなクッションに転がって音楽をかけながら小説を読んだ。

そんな風に過ごしていると、「ああ、私って一人だなあ」という気持ちになった。窓の外に雨が降っていたからなのか。もしくは、音楽(かなりメロウな)を聞いていたからなのか。とにかく、寂しさの親戚のようなひとりぼっちの感覚と久しぶりに対面した。

そういえば、私はきょうと同じ気持ちを、初めて一人暮らしをした部屋でよく感じていた。そのことに気がつくと、雨の降り始めのようにぽつんぽつんと当時のことが思い出された。大学時代に大好きだった女の子のことを、私は考えていた。


彼女は、外見的に明らかに「かわいい」女の子だった。しかし、そういう素質を持った女の子の多くが、(いい意味でも悪い意味でも)自らの価値に自覚的なのに対し、彼女はそのことにまるで興味がないように見えた。
化粧っ気はなく、身に着けるのはシンプルなものばかり。だが、彼女が着れば素っ気ない白のTシャツだって彼女らしさがあったし、周りの目を意識していないのに、選ぶものには生来のセンスのよさが感じられた。そのことが彼女をより一層魅力的に、そしてユニークな存在に見せた。

彼女には当時、魅力がないとは言い切れないが、これといった魅力は特にわからない(もっと率直にいうなら、総体的な魅力が釣り合っていないように見える)他大学の彼氏がいた。私としては彼女のような美貌の持ち主がなぜ? と思っていたが(失礼)、その人と楽しそうに付き合っているようだった。

また、ホワイエで無暗に時間を潰す数多の大学生のように群れることは好まず、ひとり講堂の庭園で時間をすごすような人だった。そんな彼女のことを、「寂しくないのかな?」と思っていたけれど、彼女はそんな質問の意味もわからないくらい、ちっとも寂しくなさそうだった。

もう一つ覚えているのは、彼女の持ち物について。彼女はいつも文庫本サイズの真っ白なノートを持ち、どこにいくにもそれを携え、誰に見せるともなくささやかな文章や絵やらを描き綴っているようだった。一度「見せてよ」とせがんだことがあるが、柔らかく、しかし意思をもって却下された。

きれいでどこか風変わりな彼女は、ごく普通の大学生だった私からすると、まるで小説の主人公のように見えた。きっと「変わってるね」と言われることに彼女なりの葛藤はあったと思うけれど、彼女のとらえどころなさは不思議な磁場となり、私や私の周りの人を惹きつけていた。

彼女のまわりには、彼女だけの世界がいつも広がっていた。彼女にしかわからない価値があり、大切にしていることがあった。彼女自身も、型にはまらず、誰からも侵されないように、自分の真ん中にあるものを守ってきたのだと思う。それを持ち続けることがどれだけ大変でかっこいいことかを、彼女は私に初めて教えてくれた人だった。

彼女のことを、なぜだがぽっかりと思い出していなかったけれど、春の雨の音に合わせて、大好きだった彼女の表情や行動がなつかしく思い浮かんだのでした。おしまい。

最後までよんでくださりありがとうございます。うれしいです。