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わたしが産まれた日について

あと数日で30歳になる。1つ年をとるだけなのに、28から29になった時とは違う、しみじみとした実感がある。でもそれは、決して後ろ髪を引かれるようなものじゃない。

「20代」という、世間的には若さを象徴するひとつの記号を手放すこと。少しさみしいけど、いま自分はそれ以上の解放感を感じている。

だからこそ、ひとつの節目を前に、この気持ちをきちんと形にしてみたい。

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今年のはじめ、29歳で転職した。ずっとおもい続けてきた出版業界へ、編集者という仕事へ”すべりこんだ”のだ。

大学のときから本づくりへの漠然とした憧れはあった。でもそれは、目を離せばいつの間にか勝手に消えてしまうくらいの小さな火種だとおもっていた。

「わたしなんか」と言うのが口癖になったのはいつからだろう。特に就職活動をしていたときは「わたしなんか出版社(狭き門)に入れるわけない」、「わたしの熱意なんか大したもんじゃない」と並び立てた。弱音を吐きすぎて、友だちに「なんか消えそうだよ」と心配されるほどだった。

うしろが透けて見えるくらいぺらっぺらだった、わたしの”やりたいこと”。一方で、周りにははっきりと色や形のあるそれを見つけて、一生懸命に努力している知人や友人、サークルの仲間がいた。

いつも圧倒されていた。そして「わたしなんかには無理だから、なにか現実的な方法を探ろう」と賢く、物わかりよく諦めた。自分はやりたいことが薄ぼんやりしているからこそ、何にでも適応できて頑張れる人間なのだ、とそのときは本気でそうおもっていた。

結局「売り場づくりも編集だ」という理屈で、商業デベロッパー系の会社に勤めることになる。
前の会社もたのしくないわけではなかった。周りとは比較的うまくやれるほうだ。いい出会いもあったし、それなりに評価もしてもらっていたとおもう。

それでも割り切ることはできなかった。無視できるとおもっていた小さな想いは、くすぶり続け、やがて大きくなっていった。
どんなことをして生きていきたいのか。なにがやりたいのか。それがわかるのに、わたしはずいぶんと時間がかかってしまった。

昨年の夏、もうないだろうとおもっていた出版社の編集職の求人を見つけた。年齢的にはラストチャンスなのかもしれなかった。そしてその後、本当に運よく(としか状況的に言いようがない)、その仕事に携る機会をもらえることになりいまに至っている。

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転職してもうすぐ1年。先日、ファンとしてずっと好きだった人に取材をさせてもらった。

取材の最中は「これで大丈夫かな」「うまく進んでるかな」「嫌われてないよね......?」と心配が募り、お会いできたことのうれしさよりも、取材が無事に終わってほっとする気持ちのほうが大きかった。
それでも、文字起こしのためにレコーダーを聞き返すと、録音されたわたしの声はたのしそうに弾んでいた。

ふと、10年以上前にその人を好きになったときのことを思い出した。
よく通っていた高田馬場の駅前の本屋で、本の表紙に描かれたちょっととぼけた絵を見つけたのだ。「なんかよくわかんないけど、好きかも......」とおもった。
正体不明の好きは、雷に打たれてビビビ、というより、腹のあたりでなにかがじんわり広がっていくような感じがした。

ささやかな出来事だ。よくある話かもしれない。それでも、わたしには10年前といまがゆるやかな線でつながっているように感じた。

「ほんとによかったね。」
いまの自分が相好を崩して、10年前の自分に自然と声をかけていた。
「すごいね。遠回りしたけど、10年後にはおもいもしなかったところにたどり着いているもんだね。」


ずっと自分のことが好きになれなかった。なにかにぶつかっていく熱量もなければ、現実的に割り切ることもできなくて、ウジウジとぐずついている自分が情けなかった。なんでわたしはこうなんだろう、そうおもっては落ちこんでいた。

でも、わたしはなにもしてこなかったわけじゃない。
好きなものに心を動かした自分がいた。ゆっくりとだけど進み始めた自分がいた。だからこそ、わたしはいまここにたどり着いている。
いまの自分は、あのときからずっとつながっている。
そんな当たり前のことに気づいたとき、急に愛しさがこみあげて、これまでの自分をまるごと全部、ぎゅっと抱きしめてあげたくなった。

こんな気持ちになったのは、はじめてのことだった。

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わたしは自分のことをちゃんと見てきたのだろうか。
おもえば、ずっとないものばかりに目を向けていたような気がする。

かわいくない、賢くない、努力が足りない、おまけに結婚もしてない。自分の外側にある持っていないものを指を差して確認して、点検するように自分を責めてきた。ほしいほしいとおもい続けて、そのたびに「わたしなんか......」と繰り返してきた。

それは「向上心」といえば聞こえはいいが、わたしの場合は、ただのないものねだりだった。謙遜しているようで自分を卑下していただけだった。

いま、わたしは自分が持っているものをもう一度よく見つめてみようとおもっている。人と比べたら数は少ないかもしれない。ほしかったものとはまったく異なる形をしているかもしれない。

それでも、30歳になるわたしは、自分が持っているものを大事に抱えながらこれから生きていきたいとおもう。


30年前にわたしが産まれた日は、一年で一番、夜の長い日だった。そのせいか、わたしは暗〜〜〜い性格をしている。
でもネガティブながら、きっとわたしは前を向く。
だってわたしの産まれた日は、これからどんどん光が満ちるその“最初の日”だということに、最近ようやく気がつくことができたから。



最後までよんでくださりありがとうございます。うれしいです。