七篠

おれはおれの名前が嫌いだ。字面は不恰好で気持ちが悪い。読み上げればおぞましく不快な響き。醜い姿に似合った醜い名前だ。親から授かった名前にそんなことを言うべきではないと言われるかもしれないが、名前を聞くだけで鳥肌が立つあの黒くて速い虫と同じで、名前すら不愉快に思える例なんていくらでもある。大した話ではない。

小学校高学年のとき、担任になった男性教師がいた。比較的ハンサムな顔立ちだったが、平成も折り返しの頃だったというのに躊躇なく平手打ちを喰らわすような教師だった。嘘をついてしまったときはもちろん、誤解があったとか、誰かを庇ったようなときでさえ、隣の教室に呼び出されて平手打ちを喰らった。
そうやって呼び出すとき、彼はいつも自分のことをフルネームで呼ぶのだった。自分は何かで表彰されるような人間とは程遠かったから、判決を言い渡される罪人のような感覚はそのまま自分のフルネームにくくりつけられた。今にして考えると、自分の名前が醜くおぞましいと感じるのはそういった理由なのだろう。

学生時代は苗字にくん付けか、渾名でずっと呼ばれていた。悪い渾名でもなんでもない苗字をもじっただけの呼称で、特にそれを嫌だと思ったことはなかった。ただ、友達から昇格して3年くらい付き合っていた当時の恋人にもその渾名で呼ばれ続けていて、いつだったか「名前で呼んでほしい」と頼んだことがあったのだが、今さら恥ずかしいからいやだと言われた。たぶんそれもまた自分の名前がみっともないものなのだと感じるようになった理由のひとつなのだろうと思う。

学生時代が終わる頃にはSNSに入り浸るのが当たり前の生活になって、本名で呼ばれることはほとんどなくなった。最初の方こそ自分のものでない名前で呼ばれることに気恥ずかしさを感じていたかもしれないが、それもいつのまにかなくなった。新しい名前で呼ばれることは新しい人格、新しい居場所を与えられたのだと錯覚できる都合のいい逃げ道だった。

それが、少し前からSNSと距離を置く生活になって、手元にはこの忌々しい名前だけが残された。醜い名前。醜い顔。腐った人生からは逃れられない。いっそ誰もおれのことを知らないところへ逐電して、顔もすっかり変えて、適当な名前でも名乗って暮らしたい。そうまでして生きたいと自分が本当に思っているのかも分からないが、これまでの糸を全部切ってしまえば、いつどこで死んだってきっと誰にも迷惑をかけないのだから。