見出し画像

21.02

仕事の休憩が明けて業務に戻る。左手が痺れている。それが気になった。

乾燥肌のせいか、よく左手の指がピリピリ痺れることがあるのでそれはいい。よくはない。だけどそのときは左足も痺れていて、妙に気になった。休憩中にスマホをいじっているとき、変な体勢でいただろうか。休憩している間の姿勢などまったく無意識なので、おおかた足でも組んで頬杖でも突いて、それで血流がおかしくなったのだろう。そういうときもある。

だがそこでふと、昔テレビで見た情報が脳裏に蘇る。『身体の片側だけに起こる手足のしびれは脳梗塞の疑いがある』。火曜日の20時からだったか、ビートたけしの番組でそんなことを言っていた。演出が怖いからと、当時はまだかわいげのあった妹が嫌っていた番組だった。そうか、おれは死ぬのか。毎年の健康診断でBMI以外に特筆すべきことのない自分でも、突然倒れて帰らぬ人になったりするのか。困るな。非常に困る。部屋を片付けていない。今朝は寒かったからなかなか起きられず、枕元に脱ぎ捨てた部屋着がそのままだし、数日前に届いたアマゾンの段ボール箱も転がっているし、ああ荷物を整理しに来た両親にアイドルオタクだということがバレてしまう、とやかく言われるだろうか、それは嫌だな、今日死なずに帰れたら「開けずに捨ててくださいボックス」をつくることにしよう、それまでは死ぬわけにいかない、なんとしても今日は無事に帰らなければ……。

そんなことを考えていたら、いつのまにか痺れはどこかに行っていた。痺れていたことも忘れていた。家に帰りつく頃には「開けずに捨ててくださいボックス」のことなんて頭の隅にもなかった。

何日か後に「指って乾燥すると静電気みたいにピリピリするよね?」と母に聞いてみたら、『家族のだれもそんな経験ないし、ネットで調べても出てこないから病院に行け』と言われた。ちょっとだけ怖くなったが、寝て起きたら忘れていたので結局行かなかった。

閃輝暗点。少年漫画の必殺技ではない。簡単に言うと、視界の真ん中に盲点が突然発生し、ああちょっと目を使いすぎたかなと思っているうちにチカチカ点滅する巨大な裂け目へと変わり、やがて消える、という症状である。何日か前にこれが突然発生し、周章狼狽、失魂落魄、廃忘怪顛、分かりやすく言うならガチでビビりちらかした。聞けば父も数年前に同じ症状を経験していて、診察を受けたら網膜剥離の一歩手前だったという。視界の異常は脳の異常に直結することもあるので、これはマジでヤバいやつかもしれんと思って眼科の予約をいれた。

オチは読めているだろうと思う。健康でした。めっちゃ健康。短期間に何度も起こるようでなければ大丈夫ですよ、と言われた。20代女性で生理前になるって方がけっこう多いですね、とも言われた。おれのホルモンは一体どうなってるんだ。

死にたがりは死なない。往々にしてしぶとい。憎まれっ子世に憚るというが、悲観論者ほど臆病者で、罅ひとつないコンクリートを叩きながら歩き、雨漏りもしない頑丈な屋根の下ばかり選んで、怖い怖いと呻いている。「楽に死にたい」は「楽して生きたい」の裏返しでしかなく、転がれる傾斜があれば喜んで堕落する。そういうものだ。

あまり歳をとりすぎる前に死にたいと考えている。新鮮なまま保存しておきたい美などないけれど、老いるのが怖いのだ。できなくなることが増えていくのが怖い。戻らない日々を想って煩悶するのが怖い。二度とこの目で見られなくなってしまった大切なものたちの輪郭が消えていくのが怖い。手遅れだという事実そのものに、今この瞬間も怯えている。自分はこれを”不可逆恐怖症”と名付けて、どうにか屈服させようと戦っているのだが、まったくもってどうにもならない。天井の模様が人の顔に見えるように、秒針の音が睡魔を追い払うように、考えれば考えるほど不安と恐れが脳髄まで浸透して息苦しくなる。

『ノッキン・オン・ヘブンズドア』という映画を観た。余命宣告を受けたふたりの男が、死ぬ前に一度だけでも海が見たいと、車を盗んだり強盗したりしながら海を目指す物語。お約束のように銃弾がひとつも主人公たちに当たらない、一見しておバカなアクションコメディのようでいて、ときおり彼らに肉薄する死が垣間見えて息を呑むシーンもある。好きな台詞や場面がたくさんあって、きっとこのあとの人生で何度も観返すことになる映画だろうな、となんとなく思った。

夜と昼を積み上げたものが月日に成る。明日を千回繰り返せば三年にもなるし、明日を千回繰り返しても三年にしかならない。今さら取り立てて言うことでもないが、いついかなるときも事実である。太陽の昇降を数えるだけが一日ではなく、月の満ち欠けを今日の始まりにしてもいいのかもしれない。今日は帰ったら何の映画を観ようか、週末はどこに出かけようか、そういう健全な思考停止を繰り返して、気づいたらいい感じに年老いている、そんな楽観的な気分を上書き保存して、今日の自分は眠りにつく。春になったら新しいシャツを羽織って、隣町の湖まで歩こうかな。