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十一月

日記


月が変わって最初に見た夢は、空港で傘を探す夢だった。人ごみを逆流しながら歩いていると、15年ぶりの顔が現れた。『なんか途中から気まずくなったけど、別にあなたのこと好きじゃなかったから』とわざわざ言われたので、「こちらこそ好きだと思ったことなんてなかったよ」とわざわざ言った。そのひとの隣には、何人かの顔見知りにまぎれて、初恋のひとがいた。うしろ頭しか向けてくれなかったけれど、そうでなくてもまともに顔は見られなかっただろうな、と思う。
夢から醒めたあと、なんであんな安っぽいビニール傘を必死に探していたのだろう、と思った。


もう住み始めて1年になるのに、家のすぐ近くに古い喫茶店があることをつい最近知った。普段と違う道を通って帰ったら思わぬところに「コーヒー・軽食」の看板が出ていて驚いたのだが、そのときは諸事あって入れなかった。今日は散歩がてらそこに寄って一服して帰ろうかと店の前まで行ったが、シャッターが下りていた。次の日も下りていた。そういう人生なのだ。諦めたまえ。


長葱の飛び出ない買い物袋が発達していないのは、きっと誰かの陰謀だ。


『人間失格』を読んだ。あれは自分かもしれないと思った。もちろん自分にあんな美しさはないからただの自惚れだ。だれの救済にもなれない自分が生きていては世間に申し訳が立たないなと思いながら生きている。せめて死んだあとにだれかに「天使のような人だった」と言われたいけれどそれも叶わないのだ。


引き続き太宰治を読む。
『ア、秋』を読んだ。秋なんてあってないようなものだと、今年は特にいろんな人が言っていたような気がする。「秋は、ずるい悪魔だ。夏のうちに全部、身支度をととのえて、せせら笑ってしゃがんでいる。」という言葉が気に入った。秋の断片が「ごたごた一ぱい」書いてあって、撮った記憶のない写真を現像して眺めているような気持ちになった。
次に読んだのは『九月、十月、十一月』、これは月一年ボイスと区切りが同じだなあと思ったので読むことにきめた。どこか地方の、温泉と喫茶店のある鄙びたまちに逗留したくなってきた。去年までは自分の車があったから、休みのたびに隣県まで何時間か走っては一日かぎりの放浪をしていたのに、車は実家に置いてきてしまったし、すっかり都会ぐらしに慣れてしまったから、今なら倦んでしまうのかもしれない。


自分のいないところでも時間が流れていることを思い出してしまうと息が苦しくなる。今この瞬間、だれの脳裏にも自分はいないし、自分の姿を目にしている者もいない。認知されないものは存在しないのだとジョージ・バークリーも言っている。この日はそのまま量子人間として過ごした。


幡ヶ谷から代々木を経て渋谷まで歩いた。
駅ビルの地下にある喫茶店でパスタを注文する。店主がキッチンに引っ込んでいる隙に、足音ひとつ立てずに老人が入ってきて角の席に座った。気づかれていないんじゃないかと心配をしたが、しばらくして店主が「アイスコーヒーでいい?」とこともなげに言うので少し驚いた。いつのまにか縁側にいる野良猫みたいだな、と思ったが、アクリル板越しに盗み見た風采が猫とはかけ離れていたので取り消した。
駅を出て、商店街から西原地区を突っ切る。本屋、雑貨屋、レコードショップなんかが小ぢんまりと並んでいて、道幅もほどよく狭く、どこにも立ち寄らなかったけれど楽しかった。良い風貌のマンションもいくつか見かけた。良い建物を見つけるとGoogleマップにハートのピンを立てると決めていて、だから歩いたことのある通りにはハートがいくつか並んでいるのですぐにわかる。
渋谷の本屋で3冊買った。代々木の古本屋でも欲しかった本を見かけたのに重くて諦めた。次に寄ったときにはもうないだろう。


2日に1度はだれかに追われる夢を見る。息苦しさのせいだろうか。
ずっと気分が晴れないまま夜になる。好きなアイドルのことを観ている間は気が紛れていたが、それが終わるといっそう酷くなった気がする。月曜日の声が聴きたい。
なんとか眠りについたのに、地震に揺り起こされた。


会いたくもない人に会うために爪の色を落とした。このまま社会から脱落してしまいたかったのにそうもいかない。そもそも最初から人間の社会に向いていないのだ。このまま社会から滑り落ちて、西荻あたりで古本屋を開きたい。以前はミステリ小説ばかり集めた小さな本屋をやりたいと思っていたのに、最近はその手の本をあまり読まなくなった。というより、小説を読む時間が減った。映画を観ている時間が長くなったし、文字はどうも目が滑る。字幕でさえ読めないときもある。もう頭が回っていないのかもしれない。このまま脳も社会性も退化して、いつの間にか人間でなくなってしまったらどうしようか。けだものに堕ちても猫にはなれない。


病院に行ったついでに散歩をする。ほとんど外に出なくなったものだから、隙間風を全身で抱きしめているような格好で出てきてしまった。名前につられて入った喫茶店は店というよりほとんど民家のような内装をしていて、ガラスの引き戸が音を立てて開き、寒そうな顔をした老人が入ってくるたびに、正月に親戚たちの集まる祖父母の大きな家を思い出した。10ほどの部屋と広い庭、トラクターが2台まるごと入る倉庫まであった大きな家だったが、今では土地ごと売ってしまい、公団の小さな部屋にふたりで住んでいる。ふたりとも臓器を悪くしているから、これからそう何度も会えるものではないだろうな。
そんなことを考えながら隅田川にかかる橋をとぼとぼ歩く。キラキラした高い建物が目に留まるが、未だに東京タワーとスカイツリーの区別だってつかない。 

十一
手紙なんてものを書くのは自分には向いていないのだろうと思う。いつまでも来ない返事を待ってしまう。返事の来る性質のものでなければ尚更、相手の一挙手一投足に返事を読み取ろうとしてしまうのだ。余計なことを書いただろうか、不快な言葉を使っただろうか、そもそも誰もあんなもの――等々。
自分の仕掛けた罠の毒で死ぬみじめさったらない。すぐに気が大きくなって何かしでかしても、自己嫌悪の後始末をするのはほとぼりが冷めた明日の自分で、そんなことだってあと十回や二十回も寝起きすればすっかり忘れてしまうのだ。

十二
朝から散歩用のプレイリストを作る。午後は綺麗な秋晴れの一日になりそうだったので、聴きながらスキップでもしたくなるような曲ばかり選んだ。ひととおりリストに突っ込んだあと、パズルやしりとりなんかをするように曲を繋ぎ直していくこの作業が一番好きだ。事前にルートは考えてあるから、歩く時間に合わせて曲を増やしたり減らしたりしていく。
大塚駅から春日通を下り、茗荷谷の手前で折れて早稲田方面へ。早稲田から高田馬場までの通りには古書店がたくさん潜んでいて、何度も何度も寄り道をしてしまった。良い本をみつけたので一冊だけ買った。
高田馬場の何とかいうホールでRAYを観てひととおり満たされたあと、久しぶりに居酒屋らしい居酒屋へ行った。楽しくはあったけれど、大勢で過ごすのはやはり向かないなと思う。

十三
何度も何度も再生していれば、だんだん歪んでおかしくなってしまうのはどれも同じだ。

十四
『海辺のポーリーヌ』『台風家族』『日日是好日』を観た。好きなところも好きじゃないところもあった。以前はそれを説明できないことをもどかしく思っていたのに、最近はすぐに言語化する必要もないのだと考えるようになった。
内山結愛さんの誕生日だった。彼女と同じ誕生日、同じ苗字の、昔好きだったアイドルのSNSを見た。2年くらい前に卒業して、結婚して、今は本当に幸せなようだから嬉しかった。目じりに皺を寄せて大きな声で笑うひとだった。いまでもそうであってほしいと心から思う。

十五
昨日観た映画に登場した、フェリーニの『道』を観た。とても好きな映画だった。映画の情報を知りたくてwikipediaの記事を見たら、やたら小難しいことが書いてあって困惑した。
録音チェキが届いていたので寝る前に聴いた。手を振ったら投げキッスが返ってきたような衝撃があって、思わず泣いてしまった。自分でも忘れていたようなことを覚えていてくれるのは本当に本当に嬉しい。

十六
ロメールはあまり好みに合わないかもしれないなあと思っていたら、好きな作品が見つかった。いますぐ話をしに行きたい。

十七
サブスクにない好きな映画のDVDが安かったので買った。最近は一度観て好きだった映画を観返したりすることも増えてきたから、鑑賞の権利を保有しておくことの大切さも分かってきた。ついでに一番好きな映画もネットで探そうとしたら、似たタイトルでもっと有名な映画ばかり引っかかるし、ようやくたどり着いてもレンタル仕様のダサいパッケージしか出回っていない。いつも通りの人生だ。

十八
いつのまにか好きな花が道端に咲く季節になっていた。春と秋の二回咲くが、秋は葉が赤くなるので少し違って見える。花が咲かなければ邪魔くさいただの雑草だけど、季節になれば金平糖のような淡いピンクの花が咲く。元は園芸用の品種だったものが植木鉢を脱走して、コンクリートの隙間で生き延びているらしい。
そこでふと、園芸用としてこの花に出会っていたら、自分は好きになっていただろうかと思った。考えてみれば、この花のことを語るとき、「雑草だけど」という枕詞を使わなかったことがないように思う。自分は本当にこの花のことが好きなのか自信がなくなってしまった。

二十三
5日間のあいだ、両親が家に泊まりにきていた。アイドルのグッズはベッドの下に隠しつつ、Tsukihiサコッシュや絵葉書、カップとソーサーはそのまま出しておいた。ささやかな抵抗である。
久しぶりに福岡の言葉を何日間も話していて心地よかった。次に誰かに会ったときにそのまま出てしまいそうだな、と思ったけれど、敬語だとほとんど表れないからそんな心配もいらなかった。
久しぶりに月夜のベーカリーがあったのに、いつもより早い時間だったし、なにより両親のいる前では聴けなかったので、部屋の明かりを落としてからイヤホンをして聴いた。一周年であることに気づけていなかったのが少し悔しかったけれど、意識しないくらい日常に浸透しているということだよと自分に言い訳をしておいた。

二十四
部屋が広くなったように感じる。数日前のトークイベントのアーカイブを観た。アイドルをメタ視点から観ることが苦手だから少し勇気が要ったけど、ふたりのトークの相性がよくてずっと楽しかった。
表に出さなくなったことには気づいていたけれど、消えてしまったわけではなかったのだなと思った。見せてくれるものだけ受け取ろうというスタンスは今も変えていないけれど、だからといって見て見ぬふりをするわけにもいかないし、全部分かっているような顔をするのも真摯でない。忘れられない文字列はいくつもあるが、それに触れないことも愛だと誤魔化してしまっていいのだろうか。分からない。

二十五
一言も交わさないままで満たされた。代々木公園から青山、赤坂と歩き、夜の山手線を真っ二つに横断した。東京の夜はこんなに黄色かっただろうかと思う。街路樹を見上げたら、銀杏ですらなかった。
夜の街を飛ばす車のタイヤが、アスファルトを擦りながら遠ざかる音が好きだ。歩道を歩きながら聞くのも、部屋の窓を開けてそれを聞くのも好き。きっと同じ音がしているのに、昼と夜のそれでは全く別のものに感じるのだから不思議なものだ。つくづく自分は夜の人間なのだなと思いつつ、いつのまにか朝が好きになっていたことに気づいた。

二十六
ちょっとだけ贅沢をしたくなって、散歩がてら近所のパン屋でちょっといい食パンを買った。そういえば、去年ごろ実家の近くにできた妙な名前の食パン屋はまだ潰れていないらしい。
帰りたい気持ちは少しずつ強くなる。でもここではあちらの何倍もの速さで時間が流れていて、一度見逃すと二度と見られないものがいくらでもある。それが本当に怖いから離れられないでいる。早いとこ出家してしまったほうがいいのかもしれない。

二十七
行きつけのシーシャ屋へ行った。わざわざ遠くの店に行かなくたって家から徒歩3分のところにシーシャ屋はあるのに、他のどの店に行ったってすぐに酔って気分が悪くなってしまうのだ。だから近くの用事と時間の余裕があれば1時間半ぐらいかけてわざわざ行く。医者からは酒も煙草もしばらくだめだと言われているけれど、シーシャはだめとは言われなかったからやめていない。訊ねなかったから。
その店には好きなミックスがあって、何度も同じ注文をしてしまう。味も好きだし、好きな映画に出てくるヒロインの名前がついているからでもある。そういえば、名前の由来を聞きそびれたままだった。
『Yellow』のレコードを買った。少し話もしたけれど、てんでだめだった。明日の朝も早いので、今夜は散歩せずに帰る。マスクと服に昼間吸ったシーシャの香りが染み付いていて、なぜか余計に悲しくなってしまった。

二十八
本命の出番はずっと後だけど、気になっていたグループが出演するので早めにライブハウスに入った。9時間も会場に居続けるのは無理があるから、一通り観たあと会場を出て、ひとつ隣の駅へ移動して喫茶店で休憩を試みる。が、シャッターが下りている。一日に一度はこれを食らわせないと満足できない神に魅入られているのだ。周囲にある他の店も日曜定休ばかり、結局また新宿へ戻ってきて、会場から遠くない喫茶店でコーヒーとケーキを注文した。美味しかったから良かったものの、どうも釈然としない。

二十九
よく分からないテンションになって紫蘇ピラフを作った。味は良かったけれど、元々香りの薄い葉を選んでしまったのか、紫蘇を入れなくても美味しかったと思う。紫蘇と大葉の違いが分からなくて調べた。だけどもう忘れてしまった。
一か月ぶりくらいに月夜のベーカリーがちゃんと聴ける、と思っていたら、アプリ自体の調子が悪くて何度も無音になってしまう。結局、いつもより長く聴けることになったからかえって良かったし、動いてくれない機械相手に格闘している姿が脳裏に浮かんで楽しかった。
寝ようと思っていたら月一年ボイスが届く。悩んだ末に聴き始めたら、いつもと違って昼に収録しているというので、明日の昼に聴くことにする。

三十
各停に揺られながら聴く。鳥の声がした。
下北で古本屋、古着屋、雑貨屋をいくつも回ったけれど何も買わなかった。カレーを食べ、ルーティンのように日記屋へ行き、また少し散歩をした。
ライブを観た。特典会にも行った。RAYでもnuanceでもないひととチェキを撮るのはちょうど4ヶ月ぶりらしかった。遮るものがなくて少し動揺した。急激に惹かれたアイドルがいて自分でも不思議だったが、どうやらアイメイクの雰囲気が好みなのかもしれない。もしくは単純に、沖縄出身のアイドルが好きなだけなのかもしれない。初めて話すのに、ずっと一方的にポニテの話をされて可笑しかった。もうひとり初めて特典会に行ったひとがいて、SNSに載せる写真ではほとんど笑っていないから、初めて笑った顔を見て心を掴まれてしまった。血の通った姿が観たくてまたライブに来てしまうかもしれないな、と思った。
近くのカフェバーで意図的に終電を逃し、閉店まで喋った。新宿まで歩こうなどと言っていたのに、猛烈な風雨に襲われたので慌てて新宿行きの終電に飛び乗り、24時間営業の喫茶店でパフェを食べながら始発を待った。
長い長い一日だった。目を覚ましたら終点で、駅を出ると大雨も一緒に連れて帰ってきたようだった。月が変わっていた。