Yellowのはなし

RAYの2ndシングル『Yellow』が、6月23日にリリース決定!

そろそろ新譜が出るんじゃないかという気配はなんとなく感じていましたが、正式に発表されると嬉しいものです。
やはり、というべきか、1stシングル『Blue』、1stアルバム『Pink』に続き、色の名前を冠したものになりました。紺青のバラ、薄桃の水面、そして今回は黄金色の雲という、ジャケットのモチーフと色遣いの組み合わせも絶妙で、もう芸術点だけで名盤カウントしてしまって良いのではないかと思うほどです。次に出るCDはペンギンのジャケットになるんじゃないかとけっこう前から言ってます。そういえばRAYの楽曲に動物って出てこないな。

ということで、今回もアルバムレビュー的なものを書いてみます。振付の話もしたいのですが、新曲2つはまだ見逃している部分がたくさんあるので、楽曲の話だけをしていこうと思います。新曲の正式な歌詞は出ていないのであやふやなところもあるし、解釈が違うところもあるとは思いますが、どうか斬らないでください。よろしくお願いします。

『Pink』に引き続き、今回も期間限定でYouTubeにてフル視聴できます。
ヨッ!太っ腹!メロンちゃんだけに!(内輪ネタをやめろ)
※リンクが切れたらそのうちApple Musicに差し替えます。

01. コハルヒ

作詞・作曲・編曲:Tomoya Matsuura

1曲目からドリーミーで浮遊感あふれる音楽。楽曲提供はYUKI『センチメンタルジャーニー』のほか、My Little LoverやTomato n'Pineの作曲も手掛ける松本友也さん。所属するバンドmonocismとRAYが以前台湾で対バンしたのがきっかけのご縁とのこと。壮大な伏線回収。
イントロの軽やかで甘美な雰囲気は、これまでのRAY楽曲にはあまりなかった一面を見せながらも、間違いなくRAYの世界そのものであると分かる。1曲目というのは文字通りそのEPの顔になるもので、初めてRAYに出会った人が最初に焼き付ける音楽であり、そうでない人は新たにRAYに出会い直す音楽になる。そういう観点から捉えようとするならば、「実体のないやわらかさ」「心地よい憂鬱」といったような、自分を含め決して少なくない人たちが抱いているであろうグループのイメージを、新体制というこのタイミングにおいてさえ、いわば光源・被写体・観測者が同じものを共有している証左がこの『コハルヒ』にはある、と思う。
「実は曲によってちょっとずつ歌い方を変えている」という内山さんのパートから始まる。確かに、内山さんに限らず、曲全体を通して鼻歌のようなボーカルやコーラスに満たされていて、これまでの曲には決して多くなかったような、泣き出したくなるやさしさに包まれるような感覚になる。聖母のような音楽でありながら3人の声はむしろ少女的で、対照的に重厚なコーラスも相まって、洗われるような心地になるのかもしれない。
歌詞がまだ明示されていないからこそ受け取り方に幅が生まれる、というのを、この曲に対する他の人の感想を見ながら思った。自分の場合は、たとえばサビのメロディラインから草花が風に揺れる情景をイメージしたし、同時にそれが眼を閉じたときにしか見えないのだとも感じた。夜闇で外がほとんど見えない車窓に寄りかかって眼を瞑りながら、懐かしくて愛おしい何かを追想している、そういう光景をイメージしたのだけど、見かけた感想には「南国にいるよう」と言っている人もいて、言われてみれば確かにそう受け取れなくもないな、と思ったりもした。歌詞も振付も分からないからこそ、それぞれの琴線に触れた断片をつぎはぎして解釈する過程は、なかなか面白みがあって良い。
この曲の「曖昧さ」には、不明瞭なコーラスも間違いなく一役買っている。内山さんがツイキャスで語ったところによれば、間奏のハミングのようなところは20個くらい声を重ねているとのこと。詞としてではなく「意味を持った音」として届くそれは、空耳を天啓と錯覚するように耳に心地よく入り込んでくる。リリースされれば早晩正しい歌詞を知ることにはなるのだけど、もう少しの間、このあわいを楽しんでいたいと思う。
「尊しあなたのすべてを」のときのような、曖昧な輪郭の内側で簡潔に完結した音楽に与えられる振付が、いったいどんなものになるのだろうと思っていたら、先日のリリイベでお披露目された。イメージしていたものに近かったのでなぜかほっとしつつ、いつもの暗いライブハウスの中で、あるいは黄色のひかりを浴びながら藤色の衣装で踊るのを見ることができたら、また印象は変わってくるのだろうと思った。『コハルヒ』の音楽そのもののように、ステージ上でこの楽曲が育ち熟していく過程を見守れるのは幸いかもしれない。

02. レジグナチオン

作詞・作曲・編曲:ishikawa(死んだ僕の彼女)

死んだ僕の彼女の楽曲としては『彼女が冷たく笑ったら』をカバーしていたものの、オリジナル曲としての楽曲提供はこれが初というのはなんとなく意外な感じがする。レジグナチオン=Resignationは「諦念」、この曲に限っては「前向きな諦念」という意味とのこと。軽快なビートに現実感のないシンセ、絶望を確認するような詞は確かに「前向きな諦念」そのものかもしれない。イントロ終盤のせりあがるようなドラムやBメロのあまりに軽やかな4つ打ちは、ともすれば希望の象徴のようにも思えるけれど、無機質で無表情な声がそれを綺麗に中和している。
ちゃんと聴けば、というか、まあ聴けば誰でも分かるとは思うけれども、このアルバムに収録されている曲のうち、RAYがその代名詞のように用いる"シューゲイザー"と呼べそうなのは1曲目の『コハルヒ』ぐらい(その『コハルヒ』すらそもそもシューゲイザーではない)。むしろ、これまでのオリジナル曲でシューゲらしいシューゲを提供し続けているのはハタユウスケ氏くらいで、楽曲ディレクターであるみきれちゃんの楽曲も、シューゲよりメロディックパンクのほうが多い。これはある意味「代名詞からの脱却」と解釈できるかもしれないけれど、むしろその逆なのではないかと思う。つまり、「RAYがシューゲポップアイドルであるためにシューゲ楽曲をつくる」のではなく、「RAYの姿を投影する音楽をつくろうとしたとき、そのひとつの形がシューゲであり、あるいはノイズポップであり、あるいはみきれパンクである」という生命活動の結果なのだと思う。このことは、(かわいけりゃなんでもいいはずの)アイドル楽曲は何のために存在するのか、という問いに対するひとつの回答であるし、コハルヒの項にも書いた「光源・被写体・観測者が同じイメージを共有している」ことへの信頼感もこれに裏打ちされている。
楽曲に話を戻すけれども、この曲のテーマは「諦念」。3分半という短さ、トラックの少なさ、余韻を残しながらもあっけなく終わる後味の良さにも、なげやりや自暴自棄とは似て非なる、諦めの良さ、拘らなさは表れている。「すべてが輝いている 輝いている 輝いている」のあたりは、これもまた文字だけ拾えば希望に満ち満ちた言葉に違いないのに、実際はどこか他人事のようで空虚。間奏部分など、一聴すれば踊り出したくなるような楽しさであるのに、悲観主義的な理性がそれを抑えつけているようで、これは個人的に深くシンパシーを感じる部分でもある。「僕」と「君」に訪れるであろう終焉については一切語られていないし、「今をただ生きているだけ」の「君の声」が「忘れ難」いというのはどこか撞着しているようにも思える。抽象的でありながら決して普遍的ではない詞は、だからこそ聴き手が抱えている些細な絶望と噛み合ってそれぞれの余韻をつくり出しているのかもしれない。冷めきったメロディラインは『来週死ぬし どうでもいい』の精神を美しく体現していると思う。ishikawaさんのRAY楽曲をもっと聴きたい。

03. 17

作詞:みきれちゃん
作曲・編曲:Kei Toriki

イントロ15秒ですでにもう完成されている。デジタルかつオーガニック、ドリーミーでユーフォリック。夏休みの小旅行のような、電脳世界へダイブするような、子ども心を呼び起こす、懐かしい非日常へのときめき。
「ダリアと午後2時の蝉時雨」「世界の不思議と君のこと」「空には屋上じゃまだ届かない」「この街から1時間半の小さな旅をしよう」……みきれちゃんの詞のセンスには毎度ながら感服してしまう。「言葉」と「意味」のバランスが絶妙なのである。
このEPのコンセプトは『旅』ということらしいのだけど、4曲の中で一番わかりやすく「旅」というイメージを持っているのがこの曲。他の3曲も旅として解釈するならば、『コハルヒ』は(他の人の言葉を借りるなら)「異国情緒」、『レジグナチオン』はさしずめ「死出の旅路」といったところだろうか。『Rusty Days』は……これはまたあとで触れることにする。
RAYの新譜を心待ちにしていた理由で一番大きいのが、この『17』の音源がほしかったからだ。何を隠そう、『Pink』収録曲以外にライブで演じられる楽曲の中で断トツに好きなのがこの『17』なのだ。音楽性もさることながら、とにかく振付が大好きなのである。正直、振付の話をめちゃくちゃしたい。していい? ダメ? ダメですか? 楽曲の話しかしないって自分で言ったのでダメです。またの機会に。
さも当然のように転調を繰り返すのに不安定さを少しも感じないのは、さすが変態楽曲をいくつも提供してきたKei Toriki氏といったところだ。期待感からソワソワして落ち着かない子供のようなイントロ、雲が翳って夕立の気配を感じるBメロ、一転して水に飛び込むようなサビ……転調そのものだけでなく、それと同時に訪れる不自然な一瞬の空隙は不安を煽るし、シンコペーションを伴えば対照的に推進力を生む。
好きなところを挙げればきりがないのだけど、特に間奏のうねるギターはそのときの振付とすこぶる相性が良い。そしてなにより、月日ちゃんの「きみと」はあまりにキュートすぎて歴史的大事件なので、『17』を見るためにライブを観に来ていると言っても過言ではない。

04. Rusty Days

作詞・作曲・編曲:みきれちゃん

つい先日の2周年記念ライブで披露されたばかりの新曲。ギターの音、オンコードの作法、シンセの音色を聴けば、楽曲クレジットを見ずともすぐに誰の曲か分かる。あまりの分かりやすさに(これは新曲ではなくてno titleのリミックスではないのか……?)とまで思ったのは自分だけではなかったらしい。まあ、同じ人が作ったメロコアやパンクがなんか同じに聴こえるというのはいつの時代もそうなのだが……。収録曲全体を見てみると、終盤になるにつれて、楽曲に占める”みきれ度”が上がっていく。『Pink』のときもそういった傾向があって、そのあたりにみきれちゃんの癖というか、美学というか、なにかしらの意図を感じてしまう。
分からないなりに詞をひとつひとつ拾っていけば、だれの頭にもよぎるであろう”いたずらなあの子”。”(夜?)が怖いときには 花言葉信じてね”……そういえば、と調べてみて腑に落ちた。ダイヤモンドリリーの花言葉は「幸せな思い出」「また会う日を楽しみに」。
”そう受け取られる”ことを前提に作られた曲なのだろうな、と思う。新体制に向かうタイミングでリリースされたEPに、あえて『わたし夜に泳ぐの』ではなく新しいこの曲を収録したのも、決して”さびついた日々の封印”ではないはずなのだ。
自分を含めた一部の人たちは意識的に忘れていることかもしれないが、RAYはもうすぐ、4人になる。いや、4人とは限らないのだけど、フォーメーションなんかも考えると、たぶんまた4人になるのだろうと思う。だけどどんな子が入ってくるとして、過去の4人とは似て非なるものになる。だから、4人に"戻る"という言い方には少しだけ抵抗がある。
正直に言うと、RAYはこのまま、3人のままでいい、と思っている。RAYのパフォーマンスが4人でこそ完成するものだとしても、それでも3人のままでいいと思っている。愛おしい空白が知らないだれかに置き換わるのは恐怖だ。世界が彼女を忘れる準備をいそいそと進めているようで、どうしようもないやるせなさに覆われてしまう。終わらせるつもりは全然ないのに、勝手に上書きをしないでくれ、と思ってしまう。
そんなことを考えながらこの曲を聴いていて、ああだから『忘れたんじゃなく置いてきたわたし』なのかもしれないな、と思った。”あの子”がいたRAYとちがうだれかがいるRAYでは、その世界の4等分たる”わたし”の形もきっと変わってしまう。これからは新しいわたしとして進んでいくけれど、忘れてしまうのではなくてあの日に置いてきたのだという、旅立ちの日の言葉なのだろう。スポットライトはこれからもRAYとして生きていく彼女たちを照らしているべきで、身を引きちぎるような終わりを迎えるあの曲は、だから収録されなかったのかもしれない。
そんなことを考えてしまったけれど、そんなことを考えなくて済むくらい明るくて楽しくて美しい曲なので、ずっと愛される曲になっていくに違いない。


最後こそせつない話にはなりましたが、『Yellow』の名にふさわしい、キラキラした音楽が詰め込まれた素敵なEPです。はやくこの手で持ちたい、リリースが待ちきれない……しかし、アイドルのCDを、特典についてくるプラゴミではなく価値のある音楽として待ち遠しく思う日が来るとは。良いグループに出会えて本当に幸せです。

新体制についてはまだまだ飲み込みきれてないところもありますが(しれっと新衣装とか新ロゴとかも発表されてショックを受けています)、節目のワンマンライブをまずは丁寧に受け取れたら、と思っています。どうせいずれ悩むことだし細かいことは発表されてから考えることにして、いまはこの新たな名盤をゆっくり愛したいと思います。では。