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都市伝説ノ続キノ話

 こないだ串坂の駅前で待ち合わせしてた時のことだよ。あそこの外のやたら広いデッキの端っこで、サークルの知り合いを待ってたんだ。日付は忘れたけど、なんとなく薄く雲がかかって、あんまり明るくはない感じの昼下がりだったな。

 知り合いは十分しても現れなくて、メールも来ない。仕方がないから僕は手すりに寄りかかって、雲の感じを見たり、携帯をいじったり、そんな感じでしばらくいたんだ。それでもやっぱり来ないから、もう行くぞ、借りた本は明日返すからなって連絡して、それでひとりで飯でも食おうと駅舎に背を向けて歩き出した。平日の午後だから人影はそこそこまばらで、僕らみたいな暇な大学生か、帰宅部かなって感じの高校生がちらほら。で、少し行ったところで突然背後から声がした。

 辺りにはそれなりに話し声が聞こえていたし、電車の音も響いていたんだけど、そんな中に急によく通る、耳にするっと届くような声がしたんだ。女の子の声だ。高くも低くもない、目立つ感じのアニメ声とかでもなかった。普通の声だよ。

「下水道に白いワニが棲んでるって話、知ってる?」

 多分、一緒にいた友達とかに話しかけてたんだろうと思った。相手がどう返事したのかはよく聞こえなかった。僕はまあ、なんか聞いたことのある都市伝説だな、とか思いながら聞き流していた。

「あれね、本当なんだよ。誰かがペットを逃しちゃったから、下水道でワニが繁殖してるの。それはわりと有名な話なんだけど……続きがあるんだって」

 下水のワニ、確かアメリカとかの話じゃなかったかなあ、と思いながら僕はなんとなく立ち止まり、耳を傾けた。

「たまにあるでしょ。白いワニ革の鞄とか財布とか……ああいうのって、捕まった下水のワニの革で作ってあるんだって。国産だから安いらしいよ」

 僕はうっかり吹き出すところだった。それはない。それはないよ、見知らぬ女子高生。革は普通に染料とかで染められて色がついているはずだ。だってそうでなきゃ、この世界には色の見た目通りピンク色の肌の牛だの青い馬だのがいるってことになっちゃうよな。大体、国産だから安いってのもなんだかおかしい。

「本当だよ」

 僕が笑ったのを聞きとがめたように、少女の声は少し不機嫌になった。

「カラオケ屋の横の古着屋さん、あそこで売ってたもん。お店の人に聞いてみるといいよ」

 それきり、あれだけよく通っていた声は、ふつりと途切れた。あとはざわざわしたとりとめない話し声が残るだけ。僕は大して気にもせず、デッキから伸びる階段を降りていった。

 知り合いから行けなくなった旨のメールがようやく届いて、適当にラーメンでも食って、それでまた駅に戻ろうとした僕の目に、ふと道端の古着屋が映った。古着屋と言っても三種類くらいある。お香とか焚いてあるちょっと怪しげな雰囲気の店と、レトロが売りのストリート系と、わりとお洒落なブランドものが安く手に入るショップ、という感じの分類だ。その店は最後の、ちょっと気取った雰囲気のところだった。普段はほら、僕は大体ジーンズだし、そういうとこは入らないんだけど、なんとなくさ。気付いちゃったんだ。その店、隣にカラオケ屋がある。女子高生が言ってたの、この店かもな、って。

 店内は明るくて、ハンガーレールにどっさりと服が掛けてあった。僕も一応Tシャツとか探したけど、やっぱり鞄が気になる。レディースの売り場の方にこそこそ入って行ったら、あったんだ。白いワニ革の鞄。高級品が飾られたガラスケースの中。店員に言わないと取ってもらえないってやつだ。

 ああいうのよくわかんないけど、まああんまり大きいサイズじゃなかったな。ハードカバーの本が入るかどうかで、銀色の留め金はマグネットで閉じるみたいだった。持ち手も白い革で、全体的にぴかぴかに磨かれた、中古のわりには綺麗な鞄だったよ。じろじろ見ていたら、黒いエプロン姿の愛想の悪い女性店員が近づいてきた。

「よろしければお手にとってご覧になりますか?」

 まあ、僕も本当に欲しかったわけではないから、遠慮して首を振ったさ。あげるような彼女、いないし!
 ただ、なんか口が滑ったんだよ。こんなことを聞いてしまった。

「あの、この鞄……下水に棲んでるワニから作ったって本当ですかね」
「は?」

 店員は怪訝な顔をする。あっ、馬鹿やったなって思った。自分でも意味がわからない。なんだ下水のワニって。でも、次に続いたのはこんな言葉だった。

「当たり前じゃないですか……いえ、失礼しました。こちらのブランドの白ワニ革は、駆除された国産ワニの革を使用したものです」

 大変お安くなっておりますよ、と値札を示す。僕はなんだか急にその瞬間、世界が裏返ったようなぞっとした気持ちになった。
 値段の数字とそこに添えられたブランドの名前は、アラビア数字とアルファベットによく似ているけど全く読めない、虫の脚のような奇妙な文字で綴られていたんだ。

 僕はそのまま店を飛び出した。あの値札からぞわぞわと何かが広がり、店中の文字を……それから、そう、世界中の当たり前を書き換えてしまうのではないかとか、そんなことを想像してしまったんだ。それきり、あの店には入っていない。

 ああ、ほら、笑うと思った。頼むから『なんで笑ってるのか』は言わないでくれよ。君にまで『下水のワニなんてよく聞く話じゃないか』なんて言われたらもうどうしたらいいかわからない。本当だよ、本当に怖かったんだってば。

 最後に、もう一個だけ話しておこうか。しばらく後、別の曇りの日に串坂駅の外を通った時だ。今度は駅舎に向かおうと歩いていたら、ふとあのよく通る声がまた耳に飛び込んできた。

「ねえ、知ってる? 人面犬の話なんだけど……」

 この間の女子高生だ。僕は間髪入れず振り返る。振り返ってしまった。あの謎の恐怖の源かもしれないのに、迂闊な話だったと思っている。

 そこには、黒いセーラー服を着た少女がひとりしかいなかった。黒い長い髪をなびかせて、ちょうど僕に背を向けるところだったから、顔はよく見えない。ただ、口元が微かに微笑んだのだけはなんとなくわかった。

「あれってブリーダーがいて、血統書もちゃんとあるらしいよ」

 相槌を打つ相手はどこにもいない。彼女は最初から、僕に、僕だけに向けて話しかけていたのだとその時わかった。

 曇り空に、スカートが翻る。すると人混みにかき消えたように、少女の姿はもうどこにもない。クスクスと笑う声だけが、空に残った。

 後はそう、帰ってから調べたけれど、この市内に黒いセーラー服が制服の高校なんてひとつもなかった。


 全部、本当の話だよ。

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