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【「不安な新年」 希望なき新年は「不安」があるから。「平凡」とか「普通」の生活がどれだけ尊いものか➠政治の不安と不満がその要因でもある】

【「不安な新年」 希望なき新年は「不安」があるから。「平凡」とか「普通」の生活がどれだけ尊いものか➠政治の不安と不満がその要因でもある】
 2021年になりました。なんだか「心機一転、新しい一年」というより、なんだか「去年の続きを生きている」という気持ちです。
このような新年は、私の人生の中で数回あった感じがします。

【心の病での絶望感】
最初は36歳の時に一生治らない「心の病」(病名は伏させていただきますね)になり、あたふたして生きる希望もなくしていた時。年の区切りなどなく、心機一転する気にもなれずいました。
 何度もぶり返して、その病と共存できると思えるようになるまでは、10年以上もかかりました。

【「東日本大震災」以降も区切りのない年越し】
 そして、次は2011年に発生した「東日本大震災」で罹災して、友人知人、親戚の多くも亡くしました。自分や妻家族ははタマタマ高い場所にいて、難をのがれました。 津波が収まって、自宅や港を見た時、その凄まじい戦果(ご遺体がゴロゴロしていましたので)の跡のような光景に驚きました。
 家や船3隻などすべてなくなり、「ここから生きていけるのか?」ずっと1年考えつづて迎えた2012年の新年のときも、嫌な「前年の続き」を生きてる感じがしました。
 その後も私を含めて水産関連の漁師、加工場などの人らは、2012年から始まった大不漁で沈んだ新年を向かているのです。 それは今も同じで、かなり深刻な問題です。
 マスコミは全くそういうことは報道しません。いいとこ取りの報道だけです。 
 全く生業再生などできていないのが現実なんです。
ハード面でも、東京五輪のために工事業者が東京に移動したために、業者不足で、いまだに防波堤の工事をしているのです。

【大不漁とコロナウイルス】 
 今年はそれにコロナウイルス感染症が加わっています。
コロナ自体は、上記のような差し迫った経験よりも、ずっと楽ではありますが、ハッパリ「なんだか去年の続きを生きている」という気持ちです。
 これも、昨年も史上最低大不漁とコロナウイルスで単価安のために、先が見えないので、漠然とした不安があります。
 この、コロナウイルスは特定に人だけではなく、日本人、いや世界中に蔓延してるので、地球上の人々の「不安」となり、多くの人が去年の続きを生きている。酷い状況に生活が一変した人はたくさんいるはずで、明日もどうして生きていけるのか?
そんな「不安感」などを超えて、差し迫った状況にあるでしょう。

【「平凡」とか「普通」の生活がどれだけ尊いものか】
 自然の災害や、地震、津波、台風。豪雨災害、そして疫病などの発生。
地球の生命の中で頂点にある人間ですが、こういう、自然や疫病には無力で、非常に弱いものです。
これは、震災のときに強く感じた経験ですが・・。
改めて「人間は地球の上の自然の中の生き物の一部なんだ」と思い直さなといけないと思います。
そして、「平凡」とか「普通」の生活がどれだけ尊いものか?はじめて感じるのです。

【岩手に詩人・宮沢賢治がこのような言葉を残しています】
「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」というものです。「世界全体」という範囲を小さくしても同じくで、自分の住む地域や周囲が同じようにならない限り自分だけが「平凡・普通」になることはあり得ません。
 震災で学んだことは、「小さな努力をコツコツ重ねていくしかない」ってことです。
 でも、あの大震災では、多くの全世界の人たちに助けてもらいました。
そして、多くの優しい人との出会いもあり、今も親交は続いています。これは私に取って大きな財産です。
 私は「人生の価値」とは、如何に多くの大事な人との出会いがあるか?
 それで決まると考えています。 助け合って生きてこ人間です。
今では、感謝の心を持って生きる人生こそ素晴らしいと思っています。

【地球の自然には、謙虚で対峙すべき】
 本来、人間は自然とかコロナウイルスのような、逆らってもかなわない地球の成り立ちには、素直に成り謙虚でなけばなりません。
 政府などは、そういう気持ちで対峙して対処しないと思います。
「人の命」か「経済優先」か? そもそも、比較するべきものではないはずですが、「経済優先」できて、今アタフタしるのは愚かです。
 なんだか、平凡で普通ではない2021年の年で「去年の続きを生きている」という気持ちになりますが、あの病、震災のときの辛さを考えれば、全く不安感は違います。

【ヤッパリ政治の動向のほうが「不安」がある】
 昨年は日本でも8年9カ月近く続いた、悪夢の安倍政権から、菅政権に代わりました。これで、日本はどうなるのか?
 病的なウソつきの安倍政権から、今度は自分の理念などなき政治家の菅総理です。
 菅義偉氏は、これまで自らが命令し、自分の主義主張を押し通す習慣がなかった人。 政治家としても、長い間下働きをして上に言われたことをそのまま実行し下へ、ただ伝えることをずっとやってきた人間です。そういう習性が身に染み付いて感じです。
従って、政治家としての自分の理念などないように見えてきます。だから「主体性のない菅氏」にこそ「不安」を感じる。そういう人は多分多くいると感じます。
 これまでの対応を見てみ、主体性なき政治ですから、当然、決断力もなく、後手後手の対策で、12月に発言した「勝負の3週間」には、結局、何も具体策をしませんでした。
 このようなリーダーでは、国民は「不安」になって当然です。

【国民を欺く、腐敗しきった自民党】
 この、腐敗しきった自民党政治がダラダラと続く限り、主権者国民はホントに主権者扱いされないでいます。
 特に、震災後の2012年からの安倍政権下では、財界、経団連などにばかり目が行き、庶民イジメしています。
 法人税下げて、その穴埋めに所得税や消費増税していますが、あれもダマシです。
 「社会保障制度に財源が足りないから」と言って、安倍政権では2回も5%の消費増税していますが、実際に社会保障制度回した金は16%にしか満たないんです。 いったい何に使ったのか? 
 「財政健全論」を唱え、その国債返済に使っています。これも、国民ダマシです。
 日本はかなりの酷いインフレにならない限り「財政破綻はしなのです」が、「財政破綻説」を刷り込んでいるに過ぎません。
 これは、極一部でかなり国民を欺いていることが多すぎます。
こういう、政治に多くの国民は大きな「不安」を覚えているのではないでしょうか?
 公とは程遠い政治や行政です。
 まあ、こうした不信感もあり、コロナの収束も見えていません。
今年2021年は、多くの人が「心機一転、新しい一年」というよりも、「去年の続きを生きている」という気持ちで迎えたのではないでしょうか?  

#新年に思う #去年の続きを生きている #人生の価値 #不安感 #国民を欺く自民党 #不信感 







 
 

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