フロンを作った科学者は「悪」なのか

今の自分の考え方を形作っているものが何なのか?

というような事を少し考えてふと、昔フロンを作った科学者について考えていた事を思い出した。
私がまだ小学生であった頃、環境問題というものについての言及が増え、その中でオゾンホールとフロンが問題となっていたのだった。

なぜフロンが冷媒として使われたか?

フロンは、冷蔵庫などで使われていた、と小学校で習う。あるいは、ニュースだったのかもしれない。フロンがそこに使われているということ、それは理由のあることだった。

冷却をするということは、熱を移動させるということで、冷やしたい物質から「何らかの物質」に熱を移動させる必要がある。
この熱を移動させるための媒体となる物質のことを冷媒と言って、フロンは冷媒であった。
そのフロンが、オゾン層の破壊によって問題となるまで、どのように扱われていたか?ということは小学校で習うことはなかった。なぜフロンが使われていたのか、という事にも特段の興味はなく、疑問もなかった。
それでも私は環境問題に興味があったのだろうか、オゾン層とフロンについて父に聞いた時に、初めてフロンがどのように扱われていたか、という事を知った。

今の世の中では、インターネットが私の父の代わりをしてくれて、フロンを検索すればWikipediaが出てきて、「歴史」というページがある。一般には、Wikipediaの事を常に信頼できるかというと難しい部分もあるけれど、今回はそれを天下りに信じることにすると、以下のように書いてある。

1920年代、米国の冷蔵庫メーカーフリッジデール社の親会社であったゼネラルモーターズ社 (GM) は、傘下のゼネラル・モーターズ・リサーチ・コーポレーションのチャールズ・ケタリングやトマス・ミジリーらに、アンモニアの代替となる化学物質の研究を命じた。
1928年、GM はフロン12の開発に成功し特許を取得。1930年から GM はデュポンと共同でキネティック・ケミカル・カンパニー (Kinetic Chemical Company) を設立し、「フレオン」という商標で生産を開始した。フロンは化学的、熱的に極めて安定であるため、開発当時は「夢の化学物質」としてもてはやされた。

つまり、人々に持て囃され、華々しくフロンという物質は"登場"したのであった。例えばアンモニアには毒性もあるし、水に非常によく溶ける。そうした扱いにくさがなく、安定した物質として使われた。

ところが、そのフロンは大気の上層において電離し、電離した塩素がオゾンと結合してから最終的に酸素になるという反応を通じて、オゾン層を破壊するのであった。
そうして、フロンの使用は禁止されることになった。

小学生並の善悪の世界

さて、では、フロンを作った科学者は悪いのだろうか?

あまりに極端な考え方、だと私も思うけれど、小学生は何でもすぐに善悪に帰結させたがるもので、私も例外ではなかった。
フロンを作った科学者は悪かったのだろうか、と考えた。

その時からずっと、私には未だにその明確な答えがない。

ないけれど、少なくとも極悪ではないだろう、責任は取らないといけないかもしれないけど、悪くは無いんじゃないかな、と信じて生きている。

なぜそう思ったのか、多分細々といろんな理由はあるんだろうけど「わからない」。
それを形作ったものは、ごく小さい頃の経験であり信念であり、ある意味で根本的な性質なのかもしれない。

オゾンは"良い物質"なのか?

もう一つ、父が私に教えた事があった。
それは、オゾンという物質の毒性、ひいては酸素という物質の毒性であった。
まず、オゾン自体は人間にとって毒を持つ物質である。どれぐらいの毒性かというと、10ppmでガスマスクが必要となるぐらいで、これは大気中の約21%、約210,000ppmを占めてもガスマスクが不要な酸素とは大きな違いである。
同じOなのに、2つか3つかで随分違うのだなと思った。

ところが、人間にとって必要なO2つの酸素、気体としての酸素、これもまた嫌気性菌にとっては猛毒なのだった。
そもそも酸素は燃焼と呼ばれる現象を引き起こす要因であって、反応性が比較的高い。
光合成が生じた頃、といってもそれが具体的にいつなのかは分かっていないけれども、その頃には嫌気性菌はおそらく沢山死んだ。

酸素やオゾンには、善や悪という概念はあるのだろうか?

私は、おそらくそれらの物質には善も悪も無いのではないかな、と思っている。もちろん、正しいかどうかはわからない。
サンデル教授にでも聞くべきなのだろうか。それとも、西田幾多郎の方がよいだろうか。西田幾多郎に聞くには、イタコが必要かもしれないが。

責任と予測できることと

物や事を取り出した時、それ単独での善悪というものは決まらないのではないかな、と私は思う。
一方で、予測できないことをやった結果として何か失敗をしたとしたら、その失敗には相応の責任は生じると思う。
誰も普通は事故を起こすつもりで車を運転はしない、でも事故を起こしたら、それによって罪が発生することはあるし、責任を取らないといけない。
少なくとも、そのようなルールの決まった社会において、我々は生きている。

では、我々は、事故を起こした人に対してどのように向き合うべきなのだろうか?事故を起こしたやべーやつ、と呼ぶべきなのだろうか?
あるいは、少し見方を変えて、どのようにして向き合うことが、今後同じ過ちを繰り返さない為に良い向き合い方なのだろうか?

おそらく人間に限ったことではないけれど、ある一人の人が何かの試行を増やせば、失敗の数は単調増加する。
当たり前だと思うけれど、やればやるだけ失敗の数は増える。何かの工夫をしない限りは、おそらく回数に比例して失敗が増える。
そういう法則に支配された世界に生きている我々が、少しでもまずい失敗をしないために、あるべき姿はどういうものなのだろうか。

例えば、何かまずい点のある事業があったとして、それはどのように指摘をすべきで、どのように問題提起をすべきなのだろう。
そんな事を考えながら、自分を形作っているものが何なのか、と考えていた。

子供が生まれて、自分はどのように世界への縁を"与える"べきなのだろうな、ということにも思いを馳せながら。

おまけ

インターネットは知識を教えてくれる。その点において、1993年頃に父が私にしたことは、誰でも簡単にできるようになった。
一方で、インターネットは必ずしもストーリーまでは教えてくれない。フロンとオゾン、そして酸素を対にして考えさせるということは、指向性のない情報や個人の検索ではたどり着き得ないかもしれない。フロンとオゾンと酸素と、そのストーリーが必ずしも正しいかというと、わからない。ただ、それらが色々と関連付いた上で、私に何かを残していて、何らかの原風景のようなものを構成していることは確かだ。

ごく最近、ネムリユスリカと原子のグルーピングから始まる、事業構想とイノベーションについての授業の話を聞いた。
多分、ストーリーってそういうことなんだろうな、と思った。

十分な肯定感の上に、そのようなものを適度に与えられれば、まあ親としての私は十分機能しているんじゃないかな、ということを思っている。

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