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「アンチポデス」@新国立劇場小劇場 2022.04.15ソワレ

本当はプレビュー公演から拝見させて頂く予定でしたが、公演中止やキャスト変更が重なり、もしかしたらこのまま拝見出来ないんじゃ・・・と不安に思いつつ待つこと約2週間。幸いにして4月14日から再開され、二日目となる15日ソワレに拝見させて頂きました。以下、個人的な感想です。また、公演内容に触れていますので未見の方は御注意下さい。



何かの制作会社?の企画会議室に集められたクリエイター達。彼らの仕事は「今までこの世の中になかった新しい物語」を創り出すこと。

登場人物は9名+1名(声のみ)
 ☆サンディー:チームリーダー、白井さん
 ☆エレノア:メンバー内唯一の女性、高田さん
 ☆ダニーM1:メンバー、以前サンディーとの仕事経験あり、斉藤さん
 ☆デイヴ:メンバー、以前サンディーとの仕事経験あり、伊達さん
 ☆ダニーM2:メンバー、鶏を掴むのが苦手、チョウさん
 ☆アダム:メンバー、最後に物語を語り出す、亀田さん
 ☆ジョッシュ:メンバー、一人だけIDカード貰えない、草薙さん
 ☆ブライアン:メンバー、今回は書記係、八頭司さん
 ☆サラ:スタッフ、備品やランチ手配等の担当、万里紗さん
 ☆マックス(声のみ):サンディーより偉い人、プロデューサー?


久しぶりに聞きました!
「むかし、むかし、あるところに・・・・・。おしまい。」
そう!「おしまい」の言葉が出たら「物語」は終わっちゃうんですよね。久しぶりにその事を思い出しつつ心の中で
 (おわるんかいっ!?)
って突っ込んでました(笑)ちょっと唖然としながら。

たしかに、ストーリーとしては終焉を迎えていて、たしかに「おしまい」の段階。そう、そうなんですけれど!(笑)

読後感ならぬ観劇後感としては「解らないことはないけど、判らない」つまり戯曲の粗筋としては解るのだけれども、表面的な粗筋を追ったところで、この話の中で劇作家が言いたかった事には辿り着かないんですよね。そういう意味で「判らない」という余韻が残ったんですが、そこを何とか(笑)無い脳みそで考えてみると。

皆が憧れるような「キラキラ」した未来が詰まってそうな会議室。
集まったメンバーもこの企画の成功を夢見て集まっている。
でもこの会議室の中に在った物は、日本の会社の縮図をみるような無言の同調圧力、パワハラ、偏った成果主義、などなど、ですかね。だから何かが起こる度に互いが互いを探るような空気の読み合いをしたりして、だんだんと観てる方もみぞおちの辺りが重くなってくる。
笑いを取れればいいのか、ウケればいいのか。立場が上なら何でも許されるのか。そういうモヤモヤが自分の中にも溜まってくるんですよね。

でも、みんな、(仕事として)せっかくのチャンスであるこの企画から外されたくない。リーダーであるサンディーの機嫌を損ねたくない。

唯一、そうした状況に違和感を覚えるダニーM2。
自分の性体験とか下ネタ連続の会話が続く中だったので、話を振られた彼は「パス」を望む。自分の中の物語でも、言いたくないこともある。そうですよね。でも、そう語る彼に共感する者も庇う者も会議室の中にはいない。だってサンディーの指示で進められている会話だから、サンディーの機嫌を損ねたくないから。誰でも自分が可愛い状態なんです。でも、彼はその息苦しい会議室の中で、一つの良心みたいな存在だったように思うんです。

彼のような存在が、自分の想いを涙を浮かべながら皆に話しても、誰も理解しようとしない。むしろ(しょーがねーなー)くらいの空気感で彼を非難する人も居る。同調圧力がどんどん強くなってくる。

その過程を客席からずっと見つめていると、どんどん、どんどん、みぞおち辺りが重くなってくるんですね。だって、どうみても、この会議室の中は変だ。ダニーM2が言ってることも正論で非難されるようなことでもないのに、観客だから、ただただ、じっと口を噤んで、ダニーM2を擁護することもなく、ただ事態を見つめるしか出来ない。まるで、いじめを見て見ぬふりしてるような、罪悪感。私達も同罪ではないか、という罪悪感がひしひしと迫ってくるようで、とても辛い時間が過ぎていきます。

みんな、本当は嫌ですよね。
こんな状況、こんな事態。

元々はアメリカ?で書かれた戯曲のようなんですが、まるごと日本(特に昭和の頃)に設定を変えたのかな?と思う程、恐らく、仕事をなさっている皆様全てが(あるよね~)と思われたんじゃないかな?と思いますが、それほど身近にある「嫌なこと」の羅列だったんですよね。

そう、みんな、本当は「嫌だ」と思ってるし、「あるべき姿」だとも思ってないんじゃないかと思う。でも、「そういうものだから」とか「空気読めない奴」と思われたり上役に嫌われるのが嫌で微妙に我慢し続けている。

でも、そういうの、そろそろ終わりにしませんか?
そんな社会を変える術こそ、物語(=想像力)なんじゃないか?
そして、想像力を育てるものが「演劇」なんじゃないか?
と劇作家に言われて、顔を見合わせながら頷いたような、そんな感じ
が。

冒頭からずっと続くパワハラや下ネタの連続、聞いてることが、観てることが、辛かった方々もいらっしゃったかと思います。私もみぞおち辺りが重くなってきちゃって、ダニーM2を見捨てたような気もして、ものすごく気まずい想いをしたんですね。
でも、それこそ、この劇作家の意図だったんじゃないかと思うんです。日常の中に入り込んでしまっている各種のハラスメントの悪臭に鼻が慣れてしまっている私達でも、ちょっと離れて、他人事として客観視する時、その悪臭がどんなに酷いものか気付けるから。

それはあくまで私の勝手な推測にしか過ぎません。
実際、どうだったんでしょうね?
やっぱり、解らないわけじゃないけど判らない、という感じです。