見出し画像

「OTHELLO(オセロー)」@こまばアゴラ劇場 2024.02.04 観劇感想

シェイクスピアのおじさんが書いた話の中で苦手な本が3つありました。一つは十二夜。これはジョン・ケアード版を観て初めて面白いと思えました。残る二つの内の一つは、オセロー。舞台でも観てるし、映像(NTL)でも観てるんですけど、どうにも面白くないというか、どうしてそう簡単に騙された上で思い込むんだろう?という疑問以上の感想を持ったことが無かったですが、今日ですね、滋企画さんの「OTHELLO」を拝見して、御世辞抜きに初めてオセローが面白かったです。なので今日はオセロー記念日(懐かしいw)。残る一つは、あのハムレット。西さんなら私のハムレット嫌いも覆せるかもしれない、なんてことを想いながら、こまばアゴラ劇場を後にしました。(アゴラ劇場の図面Tシャツ、買おうと思って忘れちゃいました)


滋企画『OTHELLO』
公演期間:2024年1月31日~2月7日
会場:こまばアゴラ劇場
作:ウィリアム・シェイクスピア(松岡和子翻訳)
演出:ニシサトシ
出演:佐藤滋(オセロー)
  :伊東沙保(イアゴー/デスデモーナ)
  :永井茉梨奈(ロダリーゴー+副官キャシオー)
  :中川友香(ロダリーゴー+侍女エミリア)
  :佐藤友(ロダリーゴー+娼婦ビアンカ)



以下、観劇感想となります。
公演内容に触れていますので未見の方は御注意下さい。
なお、個人の感想です。


西さん(今はニシサトシさん)の芝居を初めて観たのはSPACでの「授業(2018年)」でした。イヨネスコの不条理劇なんですけどね、観劇中ずっと(そう来たか~)(そう来るんだ~)ばっかり思ってました(笑)
それくらい表現として意表をついてくるし芝居として面白いんだけど、肝心なところ(作品の核の部分)はちゃんと伝わってくる創り方が興味深くて、また拝見したいな~と思ってたんですが、これが意外と難しくて。その次の機会が新国のこつこつプロジェクト「リチャード三世(2019年)」だったんですが、公開されたのが最初のリーディング公演のみで、試演会は残念ながら非公開だったんですね。なので一般人である私は拝見することも叶わず。
そういう訳で楽しみに脚を運んだ本日ですが、唯一の気掛かりは冒頭に書いた私のオセロー嫌い。嫌いというより、面白いと思ったことがなかったんですよね。でも、本日、晴れて(笑)無事に、めっちゃ(芝居として)面白いオセローに出会えました。創られた方々に感謝!

前置きが長くなりましたが、ここから観劇感想です。


終演直後、の、直感的に感じたことを最初に。
「OTHELLO」として、オセローの話を紡いでいるけれど、それは表層であって、その下で語られていたのは、社会における「男性」という存在が現代でも未だに冒してしまう事、それは、自分の身近で大切なはずの人を本当の意味で大切に出来ていないし(男性側は大切にしていると疑いもしない)、相手の側に立って考えてみるという習慣が身に付いていないが故に、大切な存在を失ってから気付く、という過ちを繰り返していることで、オセローのような悲劇を招かない内に何とか変わっていったらいいんじゃないでしょうか?という社会や男性たちへの問い掛けだったんじゃないかと、思います。
その問い掛けを、肝心の男性たち(この場では客席にいらっしゃる男性たち)は、果たして「自分達の問題」だと受け取れれたのか?否か?その場で聞いてみたいくらいでしたが、どうだったんでしょう(^^;
今回の「オセロー」を観て、自分達の話だと感じる男性は、きっと、身近で大切な人とも向き合える大丈夫な人達なんだと思います。


オセローは武運に恵まれ戦勝を重ね権力者たちの覚えもめでたく、また人望も厚い。誰もが羨ましく思うような、社会の中での勝者側なんでしょうかね。
一方、順当に自分が副官になると思っていたイアゴーは、冒頭の暗闇のシーンだったか・・・(記憶があやふやでごめんなさい)自分が女だから副官になれないのか?という独白が、確か、なかったでしょうか・・・?
いや、この時、(イアゴーは女性設定なのかな?今回・・・)と思った記憶がありまして。でも、その後の場面でイアゴーの妻(エミリア)が原作通り登場するのが未だに疑問ではあるのですが、私の記憶違いかも。
ま、その話は置いておいて。

自分の実力や実績があって、副官になれないのはオセローのせいだという憎しみが全ての発端となるわけですが、頭の回る人間が恨みに走ると、まぁ、怖いですね。敵に回したくないタイプの筆頭、イアゴー。

オセローの妻、デズデモーナ。当時(シェイクスピアの時代)の社会や価値観ですと、妻は娘は家の財産の一つであり、家長の所有物なわけですが、その時代にしては珍しく、自分の意志で結婚相手を選んだ女性なんですよね。若く美しく上流階級の生まれで皆の高嶺の花、憧れの女性。自由奔放なれど、その心は純粋で、外見や家柄ではなく相手の心を見つめることが出来る人。

そのイアゴーとデスデモーナを、一人二役で演じたのが伊東さん。
いや、脚を運ぶ前から西さんの芝居ならオセローが三人くらいいるかもな?くらいの想像はしてたんですが(笑)、今回の(そう来たか!)は、これでした(笑)
ロダリーゴーの御三方も他の役柄(キャシオー、エミリア、ビアンカ)を兼ねますし、美術はパイプ椅子だけ、衣装も変わらずなので、そんなにオセローが好きではない(戯曲もうろ覚え)私は途中で迷子になっちゃうかな~と不安にならないでもなかったんですが、見事に、一度も迷うことなく、今、どっちなのかが明瞭に伝わってくるんです。何故なんでしょ?というより、演じ手の巧妙さもあれば、台詞や演出の合わせ技なんだろうな~と思いますが、詳しい解説は出来ません(^^;

イアゴーとデスデモーナなんて、真逆の存在と言ってもいいのかもしれませんが、生まれた環境や生きてきた場所によって、イアゴーはデスデモーナのような純粋さを持てたかもしれないし、デスデモーナもまた、夫の裏切りが重なればイアゴーのようになったかも?しれなくて。人間の中の両極というか、一人の人間の中にある多面性がイアゴーとデスデモーナという形で現れているようにも感じられた伊東さんの二役でした。


あと、うわ~~~(怖)と思ったのが、オセローがイアゴーの計略にひっかかり、イアゴーの思うがままに操られた心理状態になった時、イアゴーとオセローが相似形のように同じ動きをするんですよね。まるで、体を乗っ取られたように、オセローはイアゴーの思うがまま動かされているような感じで、あれは背筋がゾワっとしました。

面白いのは、最後の方の場面で、今度はデスデモーナとオセローが対称だったり相似のような動きをするんですよね。
互いの心が向き合っていれば・・・と思うような殺しの場面。歌舞伎を観る感覚をちょっと思い出す、スローモーションによる強調と陰影の美。


最後に、ちょっと、まとめのような文章になっちゃいますが。
オセローの場合は夫婦なので、愛情とか肉欲とかも絡みますけど、その根本にあるのは、互いへの信頼を維持出来るかどうか?に尽きるように思うんです。それには、相手を思いやったり、相手の立場に立って考えてみたり、そうした努力を絶やさない、ということが、つまるところ、愛するっていうことなのかも?しれませんね。
正直、面倒な話だと思います。考えるのも、話し合うのも、時間かかるし。それでも、その人との関係を保ちたいか?
それがイエスだったら、その人のことを自分は愛してるんでしょうし、それは夫婦だけの話でもなくて、親子でも、友達でも、同じなんですよね?多分。
今日のオセローを拝見していて、男とか女とか、夫婦とか、そういう範囲の話だけでもないんじゃないのかなぁ・・・と感じました。
人の信頼を得るのは大変だけど、失うのは一瞬ですもんね。
でも、信頼を持続していくことは、もっと大変というか、難しいことなんじゃないかと、我が身を振り返って、思います。


今日、滋企画さんの「OTHELLO」に出会えて良かったです。
芝居としても面白かったけど、男とか女とか、兎角、社会の中で話題に上りそうなジェンダー問題だけではない「姿」が「OTHELLO」の中に見えたような気がして。