参天台五台山記読記029
三日(壬午)
雨が降っていた。辰時に、国清寺の允初が書一通を持参した。赤城の処咸教主の御指示に従えればいい。
午時に、陳詠は明州の沈福船を借りた、と教えてくれた。それで、荷物を船に積み込み、船に乗った。
午時の二点に、都督府の使者が来て、上質の紙四帳に日本仮名を書かせた。快宗供奉が三枚、老僧(成尋自身)が一枚それを書写し、提出した。また、上等の筆一本を寄贈した。
申時に、陳詠が杭州の公移(公文書)を将来した。大変喜ばしいことだった。船頭の呉さんも船に来て、それを拝観した。
張三郎はまた、水銀、砂金を売った代金十三貫を将来した。それで、船賃として二貫を彼に渡した。約束は四貫だった。雨が降っているため、出航を待機していた。
七時に勤行を修了した。
四日(癸未)
卯時に、船が動き出した。通済橋の次門を通過する際、公移を見せると、船に乗ったまま通過できた。さらに十五里進んだ。第二水門の清水閘では、水位が低いため、門が閉められた。船を水門の下に止めた。
午時に、壽昌寺の則明がやってきて、書一通を船頭に渡した。陳詠が成尋にお金を請求したため、また百文を渡した。
申時に、みんなに其々一巻のお経を寄贈してもらった。自來が手紙で言った。「杭州の捍江第三指揮第五都長行兵士徐貴は、年37歳、10月27日生まれの人。今日は四十二章経一巻を布施し、上国の師に捧げたい。」万歳を祈らせていただく旨の返事を書いた。
亥時に、都督府の使者が来て、水門を開けられるようになったことを教えてもらった。
七時に勤行を修了した。
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