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参天台五台山記読記031

七日(丙戌)
晴れる一日だった。卯時に、杭州の牒(公文書)を役人に見せて、水門を開けてもらい、船を通らした。川の東側には大きな伽藍があり、川の右左には市場があり、四百文のお金でお米を五斗購入した。襟付きのカラス(白頸鴉) が数羽見えた。ペットとして飼われ、金鼓を叩いているような小鳥の囀りが聞こえた。

白頸鴉(画像出典元:Baidu)


道士が着ている表衣(上着)は、日本の付衣によく似ていた。迎恩門はまた、日本の朱雀門のような印象で、大五間の規模で右左に渡殿があった。扉には間隙が設置されていたが、それは水料を通すためだったと考えられる。(意味不明……)五里進んだ先に、都督の大殿があり、それは杭州府の建物と似ていた。さらに五里進んで、都沺門に到着し、牛二匹に船を引き上げさせた。都沺の二階門楼は大きさが五間で、迎恩門と似た印象だった。

道服(画像出典元:Baidu)


未時に、六十五里進んで、盤江に着いた。未時の四点に、十五里進んで、白塔山酒坊に到着した。また一里進んで、敕護聖禪院に出会った。まず、十六羅漢院の木像、中尊の等身大千手觀音像を拝んだ。そして金堂の丈六阿弥陀仏像を礼拝した。脇侍菩薩が四体で、また小さめの十六羅漢像があった。次に、荘厳極まりない釈迦堂を礼拝した。教主阿闍梨が迎えに来て、お茶を立ててくれた。また、奥へ行って、大師堂の天台祖師を礼拝した。教主が竹やぶまでに案内し、たけのこを見せたら、二十本を取って寄贈してくれた。
その後、釈迦堂に戻り、好茶を満喫した。大門を出る際、教主は丁寧に手を取って船に乗らせてくれた。その慇懃ぶりは並々ならぬものがあった。
十五里進んで、東関に到着したが、天花院があったものの参拝せずに経過した。また、十五里進んで、曹娥堰に着き、ここで宿泊することにした。今日は合計百三十五里を航行した。

曹娥墓(画像出典元:828la)


七時に勤行を無事に終了した。お経の三巻は例のとおり修了した。

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