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参天台五台山記読記043

今の大慈寺はそれに当たる。大仏殿をまず参り、丈六の釈迦様、阿弥陀様、弥勒様にお香を焚いた。また、智者大師の真身院にて焼香した。定光大師堂にも参り、焼香した。そして、法華懺院堂内には大白象の像があり、それは智者大師が懺法を厳修されたとき、普賢菩薩を感得して、菩薩が乗られた象の形を取られたものとされた。また、そこに三道法階が霊感で現れたそうだ。大師堂の額には、法空大師との書があり、大梁朱皇帝(朱温)の勅額だったらしい。生きていられた日に隋帝師の身分だった智者大師は、その滅後に法空大師と呼ばれ始め、諡号を下賜されたものだった。
その後、戒壇院を礼した。その荘厳ぶりは国清寺戒壇に比肩できるものだった。十五里だけ隔てて二つの立派な戒壇が建てられたとは!大慈寺戒壇は陳の宣帝(陳)、国清寺戒壇は隋煬帝の勅令で其々建てられた。
次には、佛隴道場を礼した。部屋にまで案内され、副寺主が茶を立てて振る舞ってくれた相手が三度も床に伏して礼拝したら、こちらから返礼をした。その後、涙を拭くこと数刻もあっただろうか。通訳の陳詠さんは、(成尋阿闍梨は)智者大師と容貌がよく似合っていて、もしかして大師様の転生ではないか、と言われたことを伝えてくれた。その後も相変わらず礼拝し続けられた。禪宗永嘉集一卷、證道歌注一帖を寄贈した。また、相手に三度礼拝され、こちらから前回のように返礼をした。先方は、前と同じように涙を拭かざるを得なかった。智者様そっくりと言われた。

磨崖石刻「佛隴」


また、食堂に行き、素晴らしい御斎(菜食料理)を楽しんだ。知事の僧侶に銀一両を納めた。
一人の老僧は日本国元燈上人影像と真讚を見せてくれた。彼は宋において紫衣を賜り、大師号を授けられた 。(元燈は寂照、念久などほぼ同じ時期に宋に滞在していた。長和四年、度縁=度牒を下賜されたものが大宋に送られた。その大師号が今日にまで伝わらなかったのは本当に惜しかった。)あまりにも意想外の展開なので、書き取りしなかった。ただ、日本人の御影を見ただけで感涙がたまらなかった。


智者大師説法処

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