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参天台五台山記読記010

三日(壬子)
依西風吹,尚不出船。在東茄葉(【考】茄,上文作茹)山。福州商人來出荔子。唐菓子。味(【考】味,諸本作朱,今據原本)如干葉(【考】松本作于葉,雲本干菜。閣本干荼,舉本于葉,恐干棗之誤)大似葉(【考】同上,恐棗)離去上皮,食之。七時行法修了。一船頭曾聚志(【考】志,諸本作悉。今據原本)與縫物沺(【考】沺,即泗字,見上註)州大師影一舖。告云。有日本志者隨喜千萬。

ノート:
西風が吹いたため、今日も東茹山(東茄山か)に停泊している。前述の大衢山の東南海域には、東極島があるが、かつては東茄山と呼ばれていた可能性がある。

福州はライチの産地として昔から知られており、福州の商人がこの島に訪れ、ライチや唐菓子などの商品を販売していた。ライチには生鮮品と乾物の二種類があった。
旧暦4月になったので、新鮮なライチが出回っていただろう。福州のライチは海上の客に販売して、商人たちが利益を上げるのも自然の流れだった。
成尋らが食べた唐菓子は、乾いた葉っぱのような味がして、上皮を外して食べるものだったようだ。あるいは、乾いた棗のような味がしたという説もある。
唐の貴妃が新鮮なライチの味に夢中になったため、皇帝は何千里も離れた涪州からさわやかなライチを取り寄せて彼女を喜ばせたという有名な話がある。

一騎紅塵妃子笑(画像引用元:每日頭條)


ライチという果物は腐りやすいが、ライチ専用の駅道を利用すれば、3日間で色、香り、味が変わらずに届けることができたという。
七時(後夜)に勤行を修了した。
船頭の一人がお志を集めていた。その結果、彼から泗州僧伽大師の御姿を描いた縫い物を一つもらった。また、日本人の1人が、千万文という莫大な金額を寄付したとの話を伺った。
このように、泗州僧伽大師は観音の化身(権現)として海外でも深く信仰されていることが明らかになった。大師は男性の相貌の観音像として、多くの人々に崇められていたのは、(当時女相の観音が流行っていた時代では)一種の伝統的信仰の復興と言えるだろう。

泗洲大師(画像引用元:百家號)


また、国境を越えて仏教信仰で結ばれるその深い絆は、本当に素晴らしいものがある。

Wechatグループ募金活動


事実、2024年4月の現在でも、四国の37番札所・岩本寺の仏像修復に、中国遍路愛好家がネットで寄付金1,028,500円を集めたという例がある。このように、民間レベルでの友好的な交流と、仏法を広めようとする堅実な活動に注目しなければならない。


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