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参天台五台山記読記025

廿七日(丙子)
午時,府使到來,隨申乞安下寺,可下府寅(宣)者。南屏山興教寺可宜由示了。使與極細布六尋了。七時行法了。

ノート:
午時に、都督府からの使いが来た。それで、宿泊できるお寺を指定し、その旨を都督府が通達することはできないかと頼んだ。南屏山の興教寺なら宜しいと教えてくれた。使いが六尋(約14.4メートル)の極細布を与えた。
七時に勤行を修了した。
(杭州の西湖の南側にある南屏山には、開宝5年(972年)に創建された興教寺があり、天台宗の大本山とされる格式の高い寺院だった。南屏山はお鐘の響きで有名である。
天台県の南屏郷にも同じ名前のお寺があるが、これとは別のお寺だと思われる。)

杭州南屏山(画像出典元:Newton.com)

廿八日(丁丑)
天晴。巳時,府使來,令見興教寺請文,又舌旨云:「虞唯奉舌旨,送錢二貫文,往興教寺齋僧八員,與闍梨轎子一乘,請來日早赴興教寺齋者。」以言示承由府使了。七時行法了。


南屏山の向かいにある寶石山(画像出典元:Newton.com)

ノート:
天気の良い一日だった。巳時に、都督府からの使いが来て、興教寺に関する請書を提示した。さらに口頭で指示があり、二貫文のお金、興教寺の斎会に参列する僧侶8名、そして阿闍梨を乗せる御輿1基を送るよう伝えられた。来日、早く興教寺の斎会に赴きなさいと口頭で伝えられた。その指示を了承した旨を府の使いに伝えた。
七時に勤行を修了した。

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