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参天台五台山記読記040

十五日(甲午)
晴れる一日だった。巳時に、陣一郎と惟觀に寺主の所に細布一端(一反)、草鞋一足を送らせた。副寺主や監寺の所にそれぞれ紫檀琉璃裝束念珠を一連贈らせた。
午時に、食堂で寺主と差し向かいで一緒に食事を楽しんだ。
未時に、鳴植阿闍梨が切願しているので、黒木青瑠璃装束念珠を一連送った。
七時には勤行を修了した。

国清寺山門



十六日(乙未)
晴れる一日だった。巳時に、寺主のもとに砂金三小両を献上した。書状には、
進上    砂金參小兩   右物雖乏少。志准香積一鉢僧堂一日供。進上如件。 熙寧五年五月十六日大日本國延曆寺阿闍梨寺主ム
と書かれた。
(粗訳:砂金三小両を献上させていただきます。ほんの志ですが、一食の食費と僧堂一日の供物に当たる費用として、前に述べたように献上させていただきます。熙寧五年(1072年)五月十六日、大日本国延暦寺阿闍梨寺主より。)
返答の書状では、
領金砂壹大兩。却設得一日堂供。候法賀石橋    因寺奉為    國師和尚修設。祝   法算。人還。謹此咨   白國清寺主賜紫  仲方  走答   國師和尚法師  即尅
と書かれた。
(粗訳:金砂壹大両を受領しました。一日の僧堂の供物に当てさせていただきます。ちょうど石橋を架けるべしとして、本寺が国師和尚(智者大師)の為に謹んで修造するところです。法算、人還(?)を祈っております。謹んでこの旨を国清寺主、賜紫袈裟を授かった仲方に伝え、意見を確認しました上で、國師和尚法師にすぐ報告して、その場で許可してもらいました。)
午時に、僧侶の皆さんと顔を見合わせた。今後、十方教院に渡ろうか。便宜処と言って最も宜しいところらしい。
七時には勤行を修了した。

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