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参天台五台山記読記021

廿二日(辛未)
辰時,家主張三來,為四錢沙金三小(十)兩、水銀百兩渡家主了。紙志與人々:三帖一船頭曾聚、三帖李二郎、三帖林少郎、二帖火頭男、三帖李愷、十帖留守人、十帖施十郎。裝束分與人々:練袈裟一條、甲袈裟一條、鈍色袍一領、赤色薄物裳一腰、表一腰。快宗供奉。甲袈裟一條、赤色練裳一腰、綾表一腰、大口一腰。頼縁供奉。生袈裟一條。聖秀。狩一腰、布袈裟一條。惟觀。狩一腰、布袈裟一條。心賢。布袈裟一條、布一段衣料善久。布一段長明衣料。
戌時,呉船頭、林少(廿)郎、李二郎相共出見市。以百千七寶莊嚴,一處或二三百燈,以琉璃壺懸并,燃火玉,大徑五六寸,小三四寸,毎屋懸之,色青赤白等也。或懸玉簾莊嚴,女人哢琴、吹笙,伎樂多,不可思議。或作種々形像,以水令舞、令打鼓、令出水。二人如咒師回轉,二人從口吐水,高四五尺,二人從肘出水,高五尺,二人馳馬,惣(摠)百餘人。造立高台,人形長五寸許,種々巧術,不可宣盡。毎見物人與茶湯,令出錢一文。市東西卅餘町、南北卅餘町,毎一町有大路、小路百千,賣買不可言盡,見物之人,滿路頭并舍。以銀茶器毎人飲茶,出錢一文。都督北方從市中過行,前後共人數百人也。如唐笠朱張時様張絹,以蠟為燈。糸毛轎子十餘乘,腰輿十餘乘,男女乘之,最為甚妙,敢不見盡,歸宿了。七時法了。

ノート:
辰時に、大家の張三さんが来た。四銭砂金三十両、水銀百両を持って、大家さんに宋銭の両替をしてもらった。(みんなの知っているその水銀ではない筈……)
上品な紙を以下の人々に贈った。(三帖)一船頭の曾聚さん、(三帖)李二郎さん、(三帖)林少(廿)郎さん、(二帖)火頭男さん、(三帖)李愷さん、(十帖)留守人さん、(十帖)施十郎さん。(和紙の登場)
装束(法衣)は以下の人々に贈与した。練袈裟一條、甲袈裟一條、鈍色袍一領、赤色薄物裳一腰、表一腰。(快宗供奉)甲袈裟一條、赤色練裳一腰、綾表一腰、大口一腰。(頼縁供奉)生袈裟一條。(聖秀)狩一腰、布袈裟一條。(惟觀)狩一腰、布袈裟一條。(心賢)布袈裟一條、布一段衣料。(善久)布一段衣料。(長明)

甲袈裟(天台宗)


裳(天台宗)

戌時に、船頭の呉さん、林少(廿)郎さん、李二郎さんが我々を連れて街を巡り、夜市を見物した。
その場に到着すると、何と数百、数千もの七宝で装飾されていた。そのなかの一箇所は二三百の明かりが灯されており、明かりは瑠璃の壷のなかに入れられていた。その中で火玉が燃え、その大きさは直径五、六寸から三、四寸のものまであった。青、赤、白と色とりどりの明かりが部屋ごとに掛けられていた。珠簾を店先に飾っているところもあった。
女性たちが琴を弾いたり、笙を吹いたりしていた。伎楽の多様さには目を見張るものがあった。また、さまざまな形像が作られ、水を持って踊らせたり、太鼓を叩かせたり、水を発射させたりした。二人は呪師のように回転していた。二人は口から高さ四、五尺ほどの水を吐いていた。また、二人は肘から高さ5尺ほどの水を出していた。二人が馬を駆りながら、百余人を指揮して、高い台を造立させているのもあった。人形は長さ五寸ほどで、一気に言い尽くせないほどの奇術が披露された。
見物人は其々茶湯をもらい、その代わりに料金一文を出した。
この夜市は、東西三十余町、南北三十余町で、町毎に大通り、横町が百千と入り組んでいた。数えられないほどの商い取引が行われ、見物人は道々に溢れ、店の奥まで人が詰めかけていた。銀の茶器で人々はお茶を飲み、その代わりに一文を支払った。
都督は北の方から市中を通過する際、その行列は数百人にも及んだ。
唐笠に朱を張った時様のように絹を張り、その中に蝋燭を灯していた。そのような糸毛轎子が十余台、腰輿が十余台あり、男女がそれらの籠に乗っている様子は実に面白い様子だった。夜市は素晴らしいものだったが、最後まで見物していると困るので、お宿に帰った。

硬衣式花轎(画像引用元:百度)


勤行は七時に修了した。

表袴(天台宗)


なんと賑やかな夜市に出られたことだろう。どんな行事があっただろうか。翌日の旧暦四月二十三日は普賢菩薩の誕生日に当たるが、その祝いのイベントだったのだろうか。それとも二十二日に何かの縁日があったのだろうか。

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