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キリギリスは遊んでいたのが悪かったんじゃなくて。

※31日間チャレンジ22日目。

今朝、寝起きに降ってきたメッセージ。

『アリとキリギリス』のキリギリスは、遊んでいたのが悪かったのではない。
やればいいと分かっていたことをやらなかったのが悪かっただけ。

どうも、あの寓話が
『遊び=悪』
『遊ばない=善』

みたいな二元論的な受け止められ方をしていることが多いように思う。

なので、
『遊ぶ=悪』
という単純な図式に、いくつ年を重ねても囚われている人を、ほんとによく見るんです。

この面白いところがね、上にも書きましたけど、
『遊ばない=善』
というこじれた謎解釈につながっている人が多い、ということなんですよ。
なんか、遊ばない自分偉いだろ、すげーだろ、みたいな感じの人、案外多いんですよね。

これって、子供の頃、遊ばない代わりに勉強してたり、遊ばない代わりに親に言いつけられた楽しめないことを頑張ってたりすることで
「偉いね!」
と褒められた原体験が、子供の未熟な頭で
『そっか、あそばないのは、えらいんだ!』
と謎解釈したまま
、何十年経っても自己肯定感のトリガーになってるってことだったりするのかな、と思ったりするんですが。

で、寝起きに降ってきたメッセージですよ。

キリギリスは、遊んでたのが悪かったんじゃないんです。
蓄えたりとかみたいな、『やればいい』って知ってたことを、ばかにしてやらなかったのが、悪かったんです。

遊ぶのは、悪くないんです。

『やればいい』と知っていることをやらないことが、悪いだけなんです。

どうですか?心当たりありませんか?
今ちょっと心がチクッとした人、いませんか?(笑)
ほんと、私も『どの口が言う』状態ですけど(爆)

だからね!
楽しいことして、遊びましょう!楽しむために生まれてきた面だってあるわけですから。

そんでね、やればいいこと、やるべきだと思うことを、やりましょ!
時には面倒くさくて後回しにしちゃいたくなることもあるでしょう(てかそんなことばかりでしょう!)。
でも、やりゃあいいんですよ、やりゃあ。だりぃなあ、とか思いながら。
何事もバランスですって。

アリはキリギリス見習って、コツコツ働きながら、たまには遊べばいい。
キリギリスはアリを見習って、遊びながらも、やるべきことを適宜やればいい。

マジで、バランス取ればいいだけなんです!!

40代、50代、場合によっては60を過ぎてからも、

『この年まで、遊ぶことをしないで生きてきたので・・・
 何をしたら楽しいか、わかりません・・・
 遊ぶって、どうしたらいいんでしょう?
 ディスコ行くとかですかね・・・?』

みたいな感じで、どうしたら自分が楽しめるのか全然わからない、思いつかない、イメージは女子高生時代の遊びで止まっている、みたいな方、大勢いらっしゃいます。ほんと日本人の女性って、真面目な人、多い・・・。国民性なのだろうか・・・。遊び方なんて星の数ほどありますからね。
『そんなことして遊んでるの!?』みたいな面白いの、いろいろありますから。

もうね、これに関しては、おんりゅうさんがいつも言ってますが、

『楽しいかどうかは、体が教えてくれます。
 五感を研ぎ澄ますことから始めましょう。
 あなたの感覚が、ワクワクしている時は、体がそういうサインを出します。
 血流が増したり、鼓動が大きくなったり、体温が上がったり、味が美味しく感じたり、音がよく聞こえたり、逆に音が遠のく感覚が一瞬だけしたり、いろんな形であなたに『今、自分、興奮してるよ!』と教えてくれます。
 五感が閉じている人が多いので、まずはそこからです。
 今、皮膚感覚はどうですか?
 暖かいですか?寒いですか?ちょうどいいですか?
 腰の周りだけ寒いとかありませんか?
 ご飯の味は、どうですか?
 ちゃんと感じますか?どんな味か、かみごたえはどうか、しっかり感じてみましょう。
 みたいな感じで、感覚の全てを全部開くようにイメージしてみてください。
 特に対人関係において感じてみましょう。
 相手のにおいとか、印象とか、声を聞いた耳の感じとか、その人の体全体から醸し出される迫力とか、あらゆる情報を、あなたの体は感じ取っているはずなんです。
 それをしっかりと受け止めて感じてみましょう。
 そうすると、何に自分が興奮するのか分かってきます。
 その興奮が心地よければ『好き』『楽しい』ということだろうし、
 心地よくなければ『怖い』『逃げたい』『嫌い』ということに分類されそうです。
 場合によっては『怖いけど好き』みたいなのもあるかもしれません。
 全ては感覚から始まるのです。
 感覚を取り戻すことから始めましょう。』

ということなんです。
だから、誰でもできます。誰でも感覚を取り戻せます。大丈夫です。

判断基準が他人になっちゃっている人(お母さんがどう思うか、いい年になっても気になっちゃう人とか、他の人にどう思われるかが気になっちゃう人とか)は、その判断基準を自分メインに取り戻していきましょう。

それから、つい自分に批判的な目を向けがちで
『どうせ悪く思われるだろうけど』
みたいなことを枕詞のように自分につけてしまう人は、自分が世の中を蔑むことで自分を守ってきたんだなあ、でも世の中の人は人を悪く思う人ばかりではないよなあ、ということを思い出していただくのが良いと思います。
あと自己卑下ばっかりしてる人と一緒にいるの、すごく疲れますよね。
いちいち『そんなことないよー』『可愛いよー』『素敵だよー』『大丈夫だよー』と言わなきゃいけないから。
あなた自身が、いつもいつも自己卑下ばかりする人が大好きならいいんですけど、めんどくさいなと思うのであれば、そういう癖は早めにやめましょう。
ずっとお友達付き合いしたい素敵な人とか、ずっとそばにいたい素敵な人とかが、どんどん離れていきますから。
もし自分がそういう癖があるのにも関わらず、長年付き合いをやめずにいてくれる人がひとりでもいるなら、相手の人に感謝しましょうね。ほんとに。
(そう思うのが悪いということではないです。
 思っちゃうことありますよね、ホルモンバランスのせいとかで。
 思っちゃうのは仕方ないことです。思っちゃうんですから。
 そうじゃなくて、四六時中そういうことばかり言うのをやめる、ということです。
 たまにすんごいしんどい時とか、お友達にちょびっと言うくらいなら、もちろんオッケーですよ。)
 

せっかく生まれてきたんだもの、遊びましょう!
そして、コツコツやるべきことをやることも、やりましょう!
結局ね、苦労だって魂目線で見たら楽しいんですよ。
あの世に帰ってから
「こーんな大変なことがあってさ!」
って話すネタになったりしますから。
悟ったり偉くなったりするのは、死んでからでいいです。
生きているうちは、思いっきり、喜怒哀楽を味わって、ニンゲンやりましょ。

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