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呪いのような、祈りのような

今日は一日かけて、ある人のブログを読んでいた。
アダルトチルドレンについてのブログだ。
その人は現役の臨床心理士で虐待サバイバーであった。過去数年分、興味深く読んだ。

■今日知って学んだこと
子どもを潰す親自身もアダルトチルドレン
虐待された過去が連鎖を生むのではない
心の傷のケアをしていないまま、大人になり親になり子育てを始めるから負の連鎖は断ち切られない

アダルトチルドレンが抱える生きづらさの正体はPTSD。長期的な心的ストレスで作られるトラウマ
。このトラウマによって自罰的な恥の意識を知らず知らず植え付けていく。
扁桃体が刺激されることで過覚醒が起きている。HSPの正体は扁桃体の過剰反応である。

ネットを徘徊し、色んな情報を検索し、自分の正体不明の辛さ、病名を躍起になって探して見つける‥‥ひと時の間は安心できてもそれは続かない。
なぜなら、自分の心根は何も変わっていないから。

‥‥などなど。目から鱗が落ちるとはこのこと。
価値観は人それぞれだから、正解不正解は問わない。大事なのは、腑に落ちたかどうか。
痛いところを突かれたし、逆に、そこまで言ってくれてありがとう!という気持ちにもなった。

身体的暴力も性的虐待もない、いわゆる普通の家庭で育った子どもこそ優先順位が低いのだという。
救われる順番のことだ。衣食住は不十分で、明日の命も確定できない苛烈な状況にいる子どもは一番わかりやすい。だから早く救われる。
"普通の家庭で育った子ども"が成人してから、死にそうな顔でカウンセリングにやってきて、正体不明の生きづらさについて訴えるのだ。(私のことか( ͡° ͜ʖ ͡°)

感情はコントロールしちゃいけないんだって。
感情は、ストレスを受けた脳の危険信号だから。
"ほんと、お前めんどい"的なAC特有の性格や感情の起伏は、先述のトラウマのせいで起きてる。あなたのせいじゃないよ、って。あなたは悪くない。

過去に受けた傷。知られたくない弱い部分、情けなさ、恥ずかしさ、みっともなさ、まっすぐに他人を信じて、何の不安もなく、ただただ愛したい。心の一番柔らかい部分。傷を抉るのは大変な勇気が要るね。だって、自分が可哀想な子どもだって認めたくないもん。私は幸せなんだ、そう思っていたいもん。それが幻想でもさ。

でも、抉った分だけ素直になれたような気がする。

昔からわかってたよ。父も母も、私と同じ傷ついた子どもだって。親である祖父母たちに傷つけられたまま、大人になって親になって、私を作ったのだ。
さーて、これから子どもをたくさん虐めてやるぞー
、だなんて考えながら子育てをしてたわけじゃないんだって。きっと一度くらいは‥自分の子育てについて戸惑ったり、逡巡したり、自信をなくしたり、しただろう。俺たちの子育ては完璧だった!なんて思っていないだろう(思ってたら首絞めるぞ)。

だからといって、私はあなたたちを許さない。
愛すのは難しいし、本音を伝える機会などなくていい。私の人生に介入してこなくていい。
どうか、その悲しい人生を全うして、安らかに死んでください。できるだけ、早く死んでください。

呪いにも似た祈り。
私が死ぬまでには、祈りに変わりますように。